推定寿命97歳の長すぎる余生

そんな生きる必要ある?

産後1ヶ月の記録

 


出産の記録(https://callemanila.hatenablog.com/entry/2023/04/15/115600)の続き、産後1ヶ月の記録を残しておきます。

滑り込みコロナ禍出産(2023年2月)なので、もちろん産後も病院では1人でした。メモがなくほとんど記憶を頼りに書きましたが、産後ケア手薄な総合病院での出産後、里帰りなしの1ヶ月がどんな感じか少しでも伝わればと思います。

 


壮絶(※当社比)な出産や父親面会を終え、寝たのは午前2時過ぎだけど7時前には麻酔が切れて股の痛みで目が覚めて、その後大部屋に移動。麻酔のお陰で後陣痛(子宮が元のサイズに戻る時の痛み)というものは全く感じなかったけど、会陰縫ったところや尻の方やらとにかく股が痛い。

病院食らしい質素な朝ごはんを食べた後、本来であれば経膣分娩の人は4時間経ったら授乳開始らしいけど、私は分娩時間(19時間越)も長く疲弊してたので、看護師さんの提案通り昼まで休ませてもらうことに。(これやったせいで母乳の出がすごく悪かったので後に悔やむことになったけど。)

 


仮眠から目覚めて食べかけの朝ご飯をかき込み、11時過ぎに新生児室兼授乳室に呼ばれてようやく息子と再会。病院の新生児室って外から全員見られる仕様のイメージだったけど、ブラインドが閉められて見えなかった。

昨晩ヨーダ顔だった息子の顔は、浮腫んでガッツ石松系になっていた。小さくて全身クタクタのくにゃくにゃで、爪だけはトキントキン。少しでも気を抜いたら壊れそうな体で、抱き上げるのにも全神経を使う。何も出てないけど乳を咥えさせて授乳の格好をして、その後に助産師さんに作って貰ったミルクを哺乳瓶で10ml与える。胃のキャパが小さじ2しかないなんて尊すぎる。寝そうになりながらも頑張って飲んでいた。

授乳が終わって病室に戻ろうとしたら、同じフロアなのに自分の部屋がわからなくなり、強烈なマミーブレインを感じた。通りかかった優しい看護師さんが案内してくれて助かった。

 


その後も3時間おきに授乳室まで歩き、授乳&自動搾乳機のイニシャルモードで乳が出やすくする処置を繰り返す。さらに、翌日午前に沐浴があるから、事前に予習しておいてとハウツー沐浴DVDを渡される。院内でTVカードを買って部屋のテレビでそれを見ないといけないミッションに加え、出生証明書をもう書いてもらえたので、それを役所に早く届けたいという夫に渡す(コロナのせいで荷物受け渡し時間も限りあり)というミッションもあり、予約した時間に風呂にも入らなきゃいけないということで、バタバタしながらあっという間に1日が終わった。

ちなみに股の痛み抱えていると、歩くも座るも、お風呂もトイレも恐怖しかないので、めちゃくちゃ時間かかる。何かの拍子に股の縫ったところが裂けたり、ピキっと痛みが走るんじゃないかと恐る恐る座ったり立ったり触ったり、シャワーを流したりするので、本当何するにもいちいち時間がかかって仕方がない。ついでに言うと痔も大噴火していて、信じられない形状になっていて風呂場で絶句した。

 

ちなみに3時間おき授乳と言っても、例えば10:00に授乳開始したらミルク飲ませてゲップ出させたら10:30は過ぎてるし、下手すると1時間かかる時もある。その前後にオムツを替えるにも、まだ慣れてないのでおしりふき10枚近く消費したり、脚を上げすぎて吐き戻しさせてしまったりして、助産師さんに叱られる&着替えというタスクが加わりタイムロス。そこから搾乳機で乳出し促進作業が30分かかるので全部終わると大体11:30頃、確実に11:00は過ぎていて、歩いて部屋に戻ってから上記の諸々作業をして、少し横になるかーと思うともう1時間半なんかとっくに溶けていて、13:00で次の授乳時間で赤子の元へ向かわなきゃいけない。

疲労感はまだ産後ハイなのかあまり感じず、深夜でも3時間おきに息子に会えるとカワイー!と写真を撮りまくった。息子はよく寝ていて泣かないしあまり乳を飲まない。脱水になるからと、無理矢理起こしてごめんという気持ちで授乳を続ける。

 


翌日はミルクの量は20mlに増やし、授乳前後には体重計ってどれだけ飲んだかもチェック。乳を吸ってくれてる感はあるものの、体重は基本1gも増えないのでほとんど出てない。授乳室には他のママさん達が張りすぎてカチカチの乳を絞ったり、自動搾乳機で100mlとか搾れてる人もいたりして、何故自分はこんな出ないんだろうなぁと悩む。

 


夫が出生届を出してくれて、正式に名前が決定した。私が出した候補の中から夫が選んでくれた、実は1番気に入っていた名前になった。命名書を達筆な私の祖母に書いて欲しくて、レターパック買ってきて貰ったり、同封する手紙を書いたり、この日も午後はほぼ休みなく動いていた。(寝ろ)

さらに、看護学生さんの研修が行われていて、少しでも糧になるならと担当になってもらっていたので、触診体験して貰ったり、すぐに寝ちゃう息子を一緒に起こして授乳を手伝って貰ったり、血圧や体温などの日々の診察をやってもらったりしてる(プロの看護師さんよりもちろんゆっくり)ので、本当寝る時間を確保するのが難しい。やっと眠れると思っても、大部屋を選んだせいで他の人のダイナソーみたいな大音響イビキがうるさくて全く眠れなかった。

 


産後3日目に突入し、流石に疲労感が出てきたため深夜3時の授乳は助産師さんにお任せして休んだ。6時台の授乳は久しぶりに感じた。新生児微笑を初めて見たけど、片側の唇だけ上がっていて、思ってたよりニヒルな笑みを浮かべていた。授乳後に数gだけど体重が増えたり、搾乳機で若干透明な水滴が取れるようになったり、乳が張ってシャワーが当たると痛かったりと、身体は既に授乳に向けて徐々に進化している。

明け方授乳が終わって部屋に帰ると、病室の窓から綺麗な三日月が見えて、なんだかホッとした。息子の名前に月という字を入れて良かったと思ったことは今も覚えている。

 

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分娩から4日目の昼でもう退院。早すぎる。何も育児のことも授乳のこともわからないまま退院となるし、母子同室じゃなかったから帰宅してようやく初めて24時間一緒になるので今更ドキドキしてくる。

息子は授乳で体重が8g増えてたり、ミルクの量も40mlに増えて順調らしい。退院オリエンを受けて、お世話になった助産師さんや看護学生さん達に見送られて病棟を出て、夫も出産直後以来ぶりに息子と対面。

 


ちなみに出産費用は無痛分娩なのに出だし合計12万円ほどで思ってたより安かったし、1日1万円払って個室にすれば良かった。全体的にはケア手薄だけど、助産師さん、ドクター、看護師さん、病棟の受付のスタッフさん、1対1で接する時皆さん優しくて、産後メンタルには本当染みた。

 

帰りのタクシーに乗り込むが、ベビードレスを着せたが故にベビーシートをつけるのが難しく、結局きちんと締められないまま乗せた。なかなか攻めた運転をする運転手さんでヒヤヒヤしてたけど、車の中では大人しく寝てくれていた。 (タクシーは一応公共交通機関扱いなのでベビーシートなしでもOKらしい。)

 


帰宅してしばらくすると両親が来て息子に挨拶したり抱っこしたり、早速祖父母馬鹿を爆発させていた。親に買ってきてもらったケーキを食べ、宅配してもらった9ヶ月ぶりのお寿司を泣きながら食べた。産後メンタルが治らない。分娩中も出産直後も入院中も泣かなかったと思うけど、家に帰ってからふとした瞬間に涙が出るようになってしまった。産後あるあるらしい。

 


いざ家での育児!となると、ベビーベッドに何敷いたらいいのか、何をかけたら適温なのか、何枚着せたらいいのか、寝る時はライト全部消した方がいいのかとか、そういうところからわからない。夜になってもなかなか息子が寝付かず、かなり泣く。病院ではよく寝る子じゃなかったっけ?初めて泣き声を聞く夫も憔悴していた。

 

新生児突然死症候群が怖くて、赤ちゃんの呼吸を感知できなくなると警告音が鳴るベビーセンサーを買っていたのでベッドに設置してみたけど、意外にも赤ちゃんが寝ながら地味に動いて移動するのでセンサー範囲から外れてしまい、けたたましい警告音が深夜の寝室に鳴り響いて、「えっ!?息してないの?!」って起きて赤ちゃんを抱き上げて確認した。焦りと緊張感で自分の心臓がバクバクなって痛かった。こんなことすると当然赤ちゃんも目が覚めて泣くので、結局センサーはオフにした。

微かにしか聞こえない呼吸音が止まっていないか、神経を尖らせながら横になるしかできなかった。そして病院ではだいたい3時間置きに授乳室に行けば良かったけど、家ではそれ以上の頻度で起きるし泣かれる。何もかもどうすればいいか分からず、朝までひたすら授乳を1〜2時間おきに繰り返した。

 

 

 

 

 

 

ここから最初の1ヶ月については、メモを取る暇もなければ、これを書いている産後3ヶ月となった今、ほとんど記憶がない。

何とか思い出せることだけ記録すると、とにかく毎日自分は身体がしんどくて、産後のホルモンや自律神経の乱れで手足は汗で常にビッシャビシャだし、完全寝不足で全身浮腫みまくりだし、授乳で座るたびに股縫ったところと痔が激痛だし、慣れない姿勢で肩も首もバキバキに凝ってるし、寒いのにシャワー浴しかできないから一向に疲れ取れなかった。目を瞑ってもアイマスクしても、何故か光がチラチラ見えるような感覚があって上手く寝付けず、とにかく毎日疲労困憊。

さらに、混合だとミルクの量どれくらいあげるのが適切かわからないし、息子は右乳を毛嫌いして飲まないし泣き喚くし、そのせいもあって退院した3日後には右乳の乳腺が詰まって38度の発熱&胸の激痛で大泣きして夫を困らせ、本当全てが辛すぎて毎日数回泣いていた。


乳腺炎になりかけた時、母は片道1時間かかるのに速攻で家まで飛んで来てくれたり、その後も1〜2日置きくらいに食料持って来てくれて、赤子の世話や家のことやっていってくれて本当助かった。20代前半まで色々ありすぎて疎遠がちになってたけど、一生頭上がらなくなった。

 

その後も乳頭保護器や搾乳器を買ってきてもらったりして、何とか乳を飲んで貰えるよう毎日必死だった。保護器のせいで乳房の皮膚が荒れて使い捨て母乳パッドでもかぶれてしまうので、布製のもの買い足したりとか、出費も地味に重なった。

 

 


夫のパパ育休中は、私が息子のお世話全般、夫が家事(食事、買い物、洗濯、お風呂場掃除)とお世話の補助(日中私が仮眠取る時1〜2時間ほど抱っこやおむつ替え、沐浴の準備と片付け)を担当。産後メンタルなので、夫の家事の非効率さとか、一人だけコーヒー淹れてアマプラで映画見てたり、泣いてる息子をハイローチェアに寝かせてスマホでホワイトノイズ流してるだけみたいな姿を見ていちいちイライラしてしまう。

私が妊娠してる間の10カ月、少しでも家事スキル伸ばすとか育児について調べるとか何もしなかったのかと思うと、意識の差を思い知らされて悲しくなった。まあ自分も母乳育児のこととかもっと色々産前に勉強しておくべきだったからお互い様だけど。

 

ちなみに妊娠中は祖母が存命していて母が介護とかもしていた&夫が当初は長めの育休取れるはずだったので、里帰り出産のオプションは私の中にはなかった。夫が結局出張があるからと産後パパ育休を半分くらいにしてしまった時点で、一度親に産後すぐに帰省させて貰えないかと相談すべきだったなと今更思う。新生児子育ては1人や2人でやるものではない。関東の方だと産後ドゥーラとか多いし自治体の助成もあるようだけど、片田舎にはそんなものなどないしね。


2人で子育てしてても大変なのに、2週間の夫のパパ育休明け1週間は出張で不在になり、完全ワンオペになるとかあまりにも無理すぎて、とりあえず区の保健センターに連絡した。この頃はマックスで情緒おかしくて、泣きながら自治体の産後ケア入院させて貰えないかとお願いしたら、翌日には保健師さんが来訪してくれた。母子の状態チェックの後、産後ケアの説明と申請をして貰った。

産院では産後ケアをやってなかったので、別の総合病院にした。本当はサービス手厚そうな中規模産院にしたかったけど、入院前に母子共にPCRを他所で受けてくる&入院前に一度外来受診することが条件と言われて、新生児にPCR検査してくれる機関も見つからないし、新生児をそんなに頻繁に外に連れ出せないし諦めた。市の産後ケア事業だと基本宿泊でも1日5千円もしない料金(※所得によります)で利用できるけど、希望した総合病院は個室代1日1万が別途かかると言われた。産院の大部屋では毎晩イビキストさんの轟音に悩まされてたので、1万ならいいわと個室の利用希望を出した。

 


なお、この頃の息子は片乳だけ飲んで寝ちゃうことも多く、私の乳の出も良くなく、泣いたら乳をあげる以外どうしたら良いのかわからないのもあって1日20回近い頻回授乳をしていた。家では授乳量計れないし、ミルクを足す量もわからなかった。

 


3月の頭、夫に赤子を預けて産後2週間検診に1人で行った。退院直後に乳腺炎のなりかけでも母乳外来に行ったので、1週間ぶりくらい。1人で出かけること、子育て以外のことをできることでちょっと気が楽になった。助産師さんに乳の状態やミルクのあげ方について相談したけど、そのままで大丈夫!みたいな感じだった。

 


翌週、産後ケアの病院に入院する日は9時から入院だったので、母に朝7時過ぎから家に来てもらって付き添ってもらい、タクシーで向かった。入院する際に無理のPCR検査を母子ともに受けなきゃいけないとのことで、息子の小さい鼻の穴にも綿棒がつっこまれて検査を受けさせられた。痛くて大泣きしてて可哀想で見てられなかった。私のわがままで入院するのにこんな痛い思いさせてごめんねという気持ちでまた泣きそうになる。

総合病院は古い国立病院で建物自体はどことなく仄暗い感じだけど、個室はベッドだけでなくテレビ(無料)、ソファ、電気保温ポット、シンク、電子レンジ、トイレとシャワー、洗面所が付いていて、ミルトンや洗剤、スポンジ、体重計も貸してもらえる。自分の寝巻きやタオルは有料のアメニティセットを借りるか持参とのことだったが、赤ちゃん用の服やタオルも無料で借りられる。食事ももちろん質素ながらも栄養バランスの取れたご飯が1日3回出てくる。育児や赤ちゃんについて不安なことや疑問があれば看護師さんや助産師さんにすぐ聞ける。自宅より数倍快適。

 


入院直後に息子の体重を計ると産院から退院後からの増え方があまり良くないことが判明。1日30gくらい増えてなきゃいけないのに、20gちょっとだった。1日20回近い授乳しても足りないし、ミルクの足し方も充分じゃなかったってことがわかって息子にも申し訳ない気持ちでしばらく泣いた。いつもお腹空いて泣いてたんだね、気付かなくてごめんねって半日くらい泣いた。

明らかに私の様子がおかしいのを見て、助産師さんが定期的に来てくれて授乳の指導をしてくれたり、夜間赤ちゃん預かろうかと提案してくれた。疲労を取らないことには授乳量も増えないとのことで、初日はお願いして久々に夜は6時間近く寝させてもらった。

たっぷり寝ると両胸カチカチになるくらい久々に張ったので、ナースコールで赤子を連れてきて貰い授乳。相変わらず飲みながら寝ちゃうけど、しばらくすると起きてきて大泣きするので急いでミルクを作って飲ませる。ゲップ出し終わってもグズグズ泣いてることが多く、抱っこして部屋中歩き回って寝つかせる。これをまた2〜3時間おきに繰り返す日々。

 


朝になると沐浴室で沐浴をするけど、やり方とか特に問題なくやれてるってことで3日目以降は助産師さんにお願いして、その時間は眠らせて貰った。2〜3時間だけど、ここが唯一まとめて眠れる時間帯だった。それが終わればまたオムツ交換、授乳、ミルク、ゲップ、寝かしつけのエンドレス。

他に産婦人科の患者がいないようで、病室を出ても一般病棟側に行かなければ、誰にも会うことがない。数時間置きに看護師さんや助産師さん、清掃スタッフさんが来るけど、基本的には赤子と二人きりで、とても孤独だった。

赤子の体重がちゃんと増えてることだけが心の支えで、それ以外は何となく全てがただただ辛くてひたすら泣いていた。赤ちゃんがかわいいと思う余裕すらなく、この頃には結構な産後うつ状態だったと思う。

 

4日目くらいから両乳の脇側がチクチク痛むようになった。飲み残しだから、その部分を手で押さえて流すように授乳するよう言われたけど、チクチクは引かない。そして迎えた6日目(退院前日)の夜8時ごろ、右乳が尋常じゃない張り方をしてきた。また乳腺炎のなりかけか?でも2回目だからもう大丈夫!と思っていたのも束の間、9時ごろになんとかミルクを与え終えたものの右乳が石のようにカチンコチンになり激痛、悪寒で全身が震え出し、とにかく寒くて動けない。

前回の比じゃないし本当無理だと思ってナースコールしてやっとの思いで声を出してヘルプを訴えたけど、ちょうど夜勤の助産師さんがいない時間だったみたいで、助産師さんが戻ったらそっち行くよう伝えるねーとだけ言われる。

寒くて震えが止まらない。30分経っても1時間経っても助産師さんは現れない。搾乳しなきゃと思っても震えと痛みで自力で何かをすることもできない。赤子が授乳とミルクの後、珍しく勝手にスヤスヤと眠り続けてくれてるのが幸いだった。この痛みと震えでは到底抱っこなんかできそうにない。

もう一度ナースコールでヘルプを訴えたら助産師さんがすっ飛んできてくれて、すぐに診てくれた。乳腺の出口のところが詰まって白斑になってて、やはり乳腺炎になりかけているとのこと。1時間くらい手で絞ってタオルで拭って(ザラっとした感触が乳首にダイレクトに当たってこれも痛い)という処置をして貰う。その間も全身の震えは止まらず、布団をかけて貰っても何をしても止まらなかった。ある程度絞って詰まりは取れたけど、まだ開通してない乳腺があるからどうしても詰まりやすいと言われた。絞って貰ったあとは寒いけど少しだけ痛みが楽になってきて眠ることができた。

 

2時間近く眠った深夜0時頃、今度は暑さで目が覚めた。全身に汗をかいている。熱が上がりきったんだと思う。ブラもせず寝たのでパジャマは漏れた乳と汗でびしょ濡れ。替えのパジャマを持ってきてなかったので、体にタオルを巻いて、濡れてる部分が体につかないように応急処置。ありがたいことに赤子はこんこんと眠り続けている。まだ授乳なんかできそうにない。ただ、暑い。痛い。暑い。心臓がバクバク鳴っていて、Apple Watchも心拍数が120を超えてます大丈夫ですかと何度もアラートしてくれる。大丈夫ではない。でもどうすることもできない。ひたすら耐えて、若干落ち着いてきた2時頃に赤子が起きてきたので授乳。寝かしつけも不要なほどそのまますんなり寝てくれた親孝行な息子。痛みは引かなかったけど、熱気が落ち着いて少しだけ眠った。

 

こんな大変な夜、本当に産後ケア入院していて良かったと思った。1人で自宅でいたら本当どうにもできなかったし、自治体助成の産後ケアの存在を教えてくれた友達には感謝しかない。

 


退院の日の朝になり、胸の痛みと張りはまだあるものの普通に食事などはできるまで回復した。10時過ぎには出ることになっていたけど、最後にまた助産師さんに右乳を絞って貰って、あとはとにかく赤ちゃんに飲んでもらうしかないけど、母乳外来があるからまたおいでと言ってくれた。入院中、看護師さんも助産師さんも息子のことをすごく可愛がってくれて(なかなか分娩がない病院らしく、久々の新生児だったらしい)、子育て始まって孤独しか感じられなかったけど、病院スタッフさんの温かさで少しそれが癒えたので、本当激務の中気遣っていただいてありがとうございますという気持ちでいっぱいだった。自分が億万長者だったら、一人一人に100万円のチップ握らせたい。

 


両親が迎えにきてくれたので、車に乗って1週間ぶりに自宅に帰った。夫も夜になって帰宅して、また3人での生活がスタート。赤ちゃん起きてる時間は9割泣いてるので、ご飯を作る余裕がない。助産師さんに教えてもらった宅配の冷凍おかずのサービスを頼んで、それプラス相変わらず母が2〜3日におきに来てくれるのでおかずを分けて貰ったりして何とか食べて毎日生きながらえていた。(この辺ほとんど記憶なし)

 


ベビレンタというところでベビースケールを2ヶ月だけレンタルして、授乳量や体重を毎回計って足りてるか確認することにした。授乳量は産後ケア入った当初は1回あたり15〜80mlと波もあって少なかったけど、1ヶ月後には60〜110mlくらいは出るようになってた。数字はあくまでも参考程度って感じだけど、息子の体重も日当たり30くらいは増えてたので、どきどきしながらも1ヶ月検診に臨んだ。

 


1ヶ月検診は母子別々の日に予約だった(婦人科外来には不妊や不育で悩んでる方もいるので、子供を連れていけないからとのこと)ので、まず月曜に母に赤子を預けて1人で地下鉄で自分の検診に行った。悪露もこの頃にはほとんどおりものシートで収まるくらいの量になっていたし、案の定子宮の戻りや縫合した会陰も何も問題なしとのことだった。これにてお風呂に浸かってOKになる。会陰縫ったところは数年前の腹腔鏡手術と同じような自然に吸収される糸だったと思うけど、抜糸については何も説明がなかった。手術経験者じゃなければこれも不安だったと思う。

検診の最後に助産師相談の時間もあって、入院時に一番お世話になった助産師さんと1ヶ月ぶりに再会した。学生さんの研修の担当になったことに再度お礼を言ってくださって、子供や産後ケアの話とか今のうつっぽい状態についてもしっかり話を聞いてくれた。助産師しながら4人の子供を育てているタフネスの塊って感じの人だけど、とても寄り添ってくれて、これ以降は会うことないのかと思うと泣きそうになった。(というか泣いた。)

 


水曜日には子供の検診があったので、心配性の母に付き添って貰ってタクシーでまた病院へ。婦人科とは別のフロアにある小児科へ初来訪。余裕を持って予約時間取ってくれてるのか、待ち時間なしで案内された。看護師さんに赤子の身長体重を計測してもらい、ドクターによる診察がある。手足を引っ張ったり?うつ伏せにしたり、とても素人にはできない動きをさせて関節や骨にも異常がないか確認して、体重も退院からちょうど1キロ(日増し42g)、身長も4センチくらい伸びて、オールOKを貰った。お医者さんに問題ないと言ってもらえると、この大変だった1ヶ月の育児に花丸をもらえたような気分になる。授乳やミルクは足りてるのだろうか、睡眠時間短すぎやしないか、暑すぎたり寒すぎたりしてないか、眠ってる時はちゃんと呼吸できてるかとか、本当全てに神経を尖らせていたけど、客観的に大丈夫だと言ってもらえて、少しだけ自信になった。というか、産後ケア入院して本当に良かった。たぶんそれがなければ普通に体重不足を指摘されてたと思う。

全て終わって、おむつ替えして、院内のスタバに寄って少し休憩してから帰宅。気づけば3月の半ば、昼間は少し暖かくなっていて、育児しかしてなかった1ヶ月で季節も変わっていたのだとようやく気づく。

 


同じ週の週末にお宮参りもやった。これがものすごく大変だった。とりあえず前日に胸まで伸びていた髪の毛(褪色して変な色になってた)をバッサリ切り、当日はレンタカーで神社まで向かうことになっていた。病院以外で初めての子連れおでかけ。まず、突然髪を辛うじて肩につくくらいまで切ったから、コテで巻くのが難しく手こずった。仕事柄ヘアアレンジは毎日してたので慣れてるはずなのに、ハーフアップすらもうまくできなくて諦めた。そして赤子はよりによって朝起きてからずっと機嫌が悪くて常時抱っこを所望する。何ならこの頃はまだ夜間授乳も23時、1時、2時、3時、5時台に5回とか普通にあったし、朝の時点で私がへとへとの状態。夫は自分だけさっさとしっかり身なりを整えて先に車を借りに出かけた。子供のお出かけバッグも準備終わってないし、自分の化粧もまだ半分くらいなのにもう出発時間になってしまった。赤子はまだ抱っこしてーーと泣き喚いている。泣きたいの私だけど??!って思いながら準備して、お昼ご飯もまともに食べれずに出発。

先に現地到着していた両親から、日柄が良いせいか神社の駐車場かなり混んでるとの情報があり、少し遠いところに停めて、車内で赤子にベビードレス(私の30年前のおさがりファミリア笑)を着させて、抱っこして神社まで向かった。出生から1キロ増えてる赤子を朝からずっと抱っこしていたのでもう腕も肩もパンパンだった。祈祷受付のところで両親、義両親と集合し、母に赤子抱っこして貰って、私はもう体力の限界だったけどなんとか祈祷申込して、タイミング良くすぐにご祈祷スタート。座ってから私は意識が飛び飛びになってたけど、神主さんが赤子の名前を読み上げた時、赤子が「あう!」と声を上げて返事してだことだけは覚えてる。

祈祷が終わって神社の前で集合写真を撮ったけど、口紅塗り忘れたので私のみマスク着用のまま、なんとも言えない表情のひどい写真だけが残ってる。お宮参り後の食事会とかなしにしておいて良かった。私が本当色々限界だった。同じくお宮参りの親子がたくさんいたけど、ママさん達みんな綺麗に化粧して、着物着てる人も多くて、何で私だけこんな余裕ないのかとうつが加速した。

もう一回やり直せるならやり直したいし、無理して1ヶ月でやるもんじゃないなと思う。(後々に知ったけど、お宮参りも100日祝いと一緒に2〜3ヶ月でやる家族も最近は多いそうです。)

 


こんな最初の1ヶ月でした。みんな記憶ないって言うけど、私も写真やぴよログを見返してなんとかこれくらいなら思い出して書けるって感じで、実際は毎日がもっと濃くて大変だったと思う。産後うつ状態真っ只中に妊娠初期から使ってたTwitterのアカウントを削除しちゃったので、そのツイートがあればもう少し色々思い出せたかもしれないけど、致し方ない。きちんと思い出せなくて悔しい。

 


これを書いている3ヶ月目の現在(5月〜6月)は、授乳回数も減って、赤子が夜中まとまって寝てくれる日も少し増えて、1ヶ月目に比べたら少し楽にはなっている。けど、ここまでの道のりも長かった。

 


お宮参りの後もやっぱり産後うつっぽい状態から抜け出せず、乳の量もあまり増えず、家事と育児1人で担うだけの体力気力もなかった。4月の1ヶ月間は夫がまた出張で丸々いないため元々実家に里帰りの予定だったけど、その予定を1週間早めて3月末から里帰りさせて貰った。

1ヶ月ほぼ育児のみに専念して、抱っこやミルクは親にも手伝って貰って、4月の半ばになってようやく「何もしてなくても涙が出る」とか「必要以上に自分を責める」ことがなくなった。そして、その後、ようやく「自分の子供がかわいい」と思えるようになった。最初の2ヶ月、子供を特別可愛いと思えないことも自分は母親失格なんじゃないかと自分を責める要素になっていて、先輩母友達からも可愛いと思えたの2〜3ヶ月目からだったよーと聞いても不安で仕方なかったけど、本当良かった。

自分が育てた方がこの子を不幸にしてしまうんじゃないかとか思って、真剣に養子縁組とか制度調べたりまでしてたし、希死念慮は割と普段からあるタイプではあったけど、いざ自分が死ぬにしても子どもを巻き込んで死なせちゃいけないから、1人で死ぬにはどうしたらいいかとかずっと考えてて本当にずっとしんどかった。そこから抜け出せたのは本当周りのお陰だと思う。

 

今のメンタルと体力でなら、もう一度出産の後からやり直したい、あの小さくて軽くて、クタクタでふにゃふにゃの息子に会いたいと思う。(※2度と出産だけはしたくないから、できれば産後からスタートで。)

 


なお、体力は多少戻ったものの、体調面は謎のくるぶしの痒みが1ヶ月くらい続いたり、突然オイリー肌になってシャンプー泡立たないレベルのギトギト素肌になったり、度重なる抱っこや夜間に布団にぺたんこ座りして授乳してたせいで腰痛や膝の痛み、手首の関節痛に苛まれたり、突如片脇だけワキガになったりと、育児とホルモンの暴走でボロボロです。

抜け毛も3ヶ月目にして拍車がかかり、毎日洗髪で100本、ドライで100本は抜けてる。重めのワイドバングだった前髪はナロー・シースルーバングになった。赤子の世話しながら、四六時中部屋で自分の髪の毛を拾っています。あと体重が産後2週間以降ほとんど減らないので、かなり太って自己固定感がゴミです。

 

 

 

そんなこんなで出産とかいう拷問付きのシャトルラン完走後、向こう20年くらい終わらない育児とかいうトライアスロンがスタートし、今もハヒハヒ言いながらやり過ごしています。

 


終わりが見えない感や、控えめに言っても戦力としては弱すぎるパートナーとの育児は正直言ってキツいし、自分の時間はほぼゼロだし、こんなことを二十数年?やって2人育てた母親すごすぎるなって改めて思う。

 

実際に経験しなければ絶対わからなかった、一生解像度低いままだったってことが現時点でも1億個くらいあった。

母業の大変さとか、孤独感とか、子を思う強い気持ちとか。

ついでに、巨乳の人の気持ち(走ると揺れて痛いとか人の目線とか…)とか、抜け毛に悩むおじさん達の気持ちとかもね、今なら痛いほどわかる。心の中でセルフ脱毛始まっちゃってるゥ!とか言ってごめんなさい。ハゲは辛い。

 

妊娠、出産、産後の三部作はこれにて完結ですが、前述の通りまだ今は多分トライアスロンのスイムの1キロ手前くらいで、この後3キロ泳いで、更に120キロのバイクと30キロのランが向こう20年続きます。

 

今後は夏に夫が長めの育休取得予定で、何やかんやありつつも徐々に戦力になってきてくれているので、何とか完走したいと思います。