推定寿命97歳の長すぎる余生

そんな生きる必要ある?

南無阿弥陀

うつ伏せになることができるようになりました。

体力の低下が著しく、何もせず、たっぷり睡眠をとって、しっかり食べているのに風邪をひきました。意味わからん。

以前付き合っていた人に病まれること疲れたと振られた私ですが、本当自分でも疲れてしまうくらい心身ともに病みがちです。

体が弱いのはおそらく先天的。よく熱を出したりして、幼稚園や学校も休みがちだった。

心が弱いのは後天的なものだと思う。小学生くらいの時までは少なくとも健全に暮らせていたし、両親もいたって健康だし、弟も何か楽しく暮らしていると思われる。

知らんけど。

物心ついた頃から小学校4年生くらいまで、すでに不眠がちな傾向はあったと思う。父親が仕事で忙しかったり単身赴任で不在がちで、母と弟(当時は妹だった)と私だけの家を放火されたり、誰かが押し入って来るという妄想に取り憑かれていた時期もあった。父親の車の音が聞こえると安心して眠れたりした。勉強は好きではなかったけど、学校は楽かったし、不眠と不安以外には特に不調は無かった。

小学校5年生の時にクラスメイトから嫌がらせというか虐めを受けた。最初に虐めを受けていた幼馴染の女の子を庇っているうちに、その幼馴染が寝返り、自分が虐めのターゲットになるというよくあるパターンのやつだった。そこで、心身ともに一度ボロボロになった。この低脳に負けるのは悔しいなと思って学校に行くのはやめなかったし、親に言ったら悲しむだろうなと思って言えずにいた。長期化して、エスカレートして、それでも担任が傍観してるのに腹が立ってきて、習い事の迎えに来てくれた車の中で親に虐めを受けていると言った。親はちゃんと話を聞いてくれて、私がかき集めた物的証拠と証言を学校に届けてくれて、担任が重い腰を上げて色々動いたのか、その辺のことはあんまり覚えてないけど、兎に角徐々に収束した。

6年生になって、クラス替えして虐めは無くなったけど、虐め主犯格の残党みたいな奴が数名いて、鬱陶しかった。相手にはしなかったけど。女子のいざこさに懲りた私は、男子や男勝りなアクティブな子達と連むようになった。毎日サッカーして、走り回って。普通に学校に通えてはいたけど、でも、どこかもう以前の自分と違うような感覚がすでに付きまとっていた。

卒業して、地元中学に4ヶ月だけ行ってから海外に引っ越し、インターナショナルスクールに転入した。先生も生徒も全員外国人で、現地語も英語もまともにわからず、最初の2年は兎に角苦労した。一学年30人もいないくらいの小さな学校で、過半数は現地人、残りが欧米系、インド系、アジア系などの生徒で、日本の学校と同じようにカーストがあったけど、アジア人はなんというかカースト外という感じで気楽だった。一つ上の学年には日本人の先輩がいたし、学外にも日本人の友達がいて、一緒に遊べる週末が楽しみだった。バカできる友達がいて、好きな人もいたりして、楽しい時間だった。

3年目になると、先輩や友達の多くが帰国してしまって少し寂しかった。その代わり、英語を話すことができるようになっていたので、ようやくクラスメイトと意思疎通を図ってたまに遊ぶこともできるようになった。

宿題が本当に多くて、年々難しくなるから大変だったけど、良い先生や家庭教師にも恵まれてたし、6月末から8月末までの長い夏休みがあってオタ活も捗るしで、それなりに私生活だけは充実していた。

4年目の春に急遽帰国が決まって、母と弟と一緒に日本に戻った。その頃にはゴリゴリのアニオタになっていたので、漫画が発売日に買えて、リアルタイムでアニメが見られる日本は天国だった。

毎月のように帰国子女の転入生が入ってくる不思議な学校に編入した。日本の一般的な学校よりは自由度が高くて、制服もないし、校則もたいしてなくて、がつがつ部活に勤しむキラキラ系カースト上位層から、学校にトレーディングカードやら漫画やら持ってきてドュフドュフしている下層まで、幅広い人種お互いに干渉しないことで皆んなのびのび楽しそうに過ごしていた。海外で暮らしたことがある故に成立していた本当不思議な空間だった。人に恵まれてそれなりに楽しかったとは思うけど、私はそこでも居心地の良い場所を見つけられず、2年間の殆どを趣味の漫画と音楽に費やして卒業した。この頃には、何となく消えてしまいたいような感情が常にあったと思う。

大学は暗黒時代。変なサークルに入ったりしてスタートダッシュに失敗したため、4年間ほぼ地獄だった。1年の頃は変なサークル(夜中の12時とかに普通にミーティングが開かれたりする)のせいで体調を崩して、何度か倒れた。2年生の時は留学先で初めて本格的な鬱っぽい症状が出たけど、冬場は何日も雨が降りしきる暗い街で、睡眠不足になりながら勉強してたらそうなるわなぁという感じだった。帰国後には治るだろうとと思ってたけど、結局それを引きずったまま卒業した。

就活せず院進学の道を選んだけど、周囲に大反対されて、結局別の方面の進学を選んだ。そこで鬱大爆発した。正直、この頃のことはあまり記憶にない。最終的なトリガーが何なのかは覚えていないけど、本当次第に全てが辛くなってしまって、死ぬこと以外考えられなくなった。覚えている限り、兎に角毎日眠たくて、カフェインのタブレットを一箱毎日のように摂取し、夜中になるとお酒を飲んで無理矢理眠っている間に中毒になった。何をしてもしんどさから抜け出せなかった。学校に行かなきゃって思うのに、最初は学校の門の前で引き返してしまって、その次は乗り換えの駅、最後は家の最寄り駅で吐いてしまって家に帰ってしまうようになった。何をしても涙しか出なくなった。学校にすら行けない自分が恥ずかしくて死に値すると思った。体も心もボロボロで、でも、そのことを家族にも当時付き合ってた人にも誰にも言えなくて、薬も合わなくて、寝たきりになった。泣きながら、ひどい頭痛で眠ることすらできず、何日間も布団でただただ死にたいと思っていた。

カフェインとアルコールの中毒が良くなった頃、散々迷った末に学校を中退した。周りは就職してしっかり働いていた。私はもう何にもなれないやと人生を諦めて数年フラフラしてたら、鬱が少し良くなった気がした。でも決して治ることはなく、結局不安定なメンタルと共にあちこちフラフラしていたら、いつの間にか27歳になっていたという本当にあった怖い話。

薬物治療は自分に合わなかったので、もう本当一生かかって一人で闘っていくしかないのだなと思っている。

今は比較的落ち着いている方だけど、何が引き金になるかわからないので怖い。病は気からというけど、心身どちらにも相互作用するので、どちらも健康にいることに越したことはない。

一度壊れたものは二度と、元には戻らないから。