推定寿命97歳の長すぎる余生

そんな生きる必要ある?

プロ側室のはなし 前編

「プロ側室ってどういうことですか?」


お好み焼きを頬張りながら、濃い目のハイボールで完成されてケタケタと笑っている女の隣で、氷しか残っていない自分のグラスに手を伸ばしてマスターに合図を送った。

 

大通りから一本入った閑静な路地の角にある、お好み焼きと酒を出す変わったこの小さなバーが、最近のお気に入りだった。職場と家を往復する生活に飽きると、帰宅電車からわざわざ下車して寄ってしまう。今日で派遣の契約が最後だったという、同じ部署で約2年勤めた沢田というこの女が、あまりにもあっさりと帰されそうになっているのを見て、思わず飲みに行かないかと声をかけてしまったのが始まりで、何故ここまでパーソナルな話になってしまったのかは覚えがない。

 

「平たく言えば、普通に7年不倫してるだけ。」
「7年てヤバくないですか?同じ人とですか?え?社内じゃないですよね?」

 

明るく笑いながらも、その目は純粋な好奇と侮蔑に満ちている。期待したわけではないけど、この7年で何度も向けられた視線だった。自らをプロ側室名乗った覚えはないけど、数少ない私の内情を知る人から半ば皮肉でそう名付けられた。不倫する人間など人に非らず、私だってそう思っているし、今更7年目の側室生活を正当化も美化もする気はない。

 

「同じ人と7年。社外。以上。それより沢田、さっきの話。次の仕事決まってるの?」
「それは今はいいんです。飯塚さんのそういう話聞くの初めてだから、気になっちゃいますよ。」

 

当たり前だ。決して表沙汰にできない話で、学生時代からの友人でも限られた人にしか話していないし、その数少ない仲でも、そのうち約半数からは完全に距離を置かれた。沢田が何社も渡り歩いている派遣社員である以上、もしかしたらあの人や奥さんともどこかで繋がりがあったら、ということを思うと少し怖い気もするが、それがきっかけで、この生活が終われるならそれでもいいくらいには最近は疲弊している。


ここで誰と来て何を話そうが一切干渉しないマスターが、私の名前が書かれた麦のボトルを仕舞い、顔色一つ変えずに水割りを差し出す。この場所では今まで二人に話したことがあるから、マスターには、内心「またその話か」って思われているだろう。巷にあふれる不倫コンテンツと何の変りもない、よくある惨めで不幸で、取り留めのない話を、漏らしてしまう。

 


相手は元々、今の会社に転職する前に勤めていた会社の上司だった。新卒で右も左もわからない状態だったし、グループ会社との新卒オリエンで知り合った同期と当時は付き合っていたし、一回りも年上のいかつい上司のことを異性として意識したことなど一度もなかったし、想像すらしていなかった。それでも、働き続けているうちに、上司としては素晴らしい人の元で働けていると実感することは多々あった。何かあれば部下を第一に守ってくれて、ピンチの時は先陣を切って引っ張って行ってくれて、褒めて伸ばしてくれて、責任は取るから好きにしていいと言って。人から好かれ、人を動かすタイプのリーダーだったと思う。年360日は仕事してるような人だったのに、謎の資格を沢山持っていて、いつ勉強しているのかも謎だった。元々営業畑の人間だからというのが口癖で、その厳しい一面のせいで女性社員から一部異様なまでに厭われていた。ただ、そのいかつい見た目とは裏腹に甘党で、「ここおじさんだけだと来れないから」とお道化てカフェに部下を連れて来る時は、チームが煮詰まっている時だったりもして、それにも何度も救われたし、身近な人には愛されていたと思う。外回りの途中で二人で食事というシーンも多かったけど、いつも驕りなのに嫌なこと一つされず、むしろ仕事もプライベートのことも相談できるくらいにはなっていた。当時他部署に配属になった同期や、学生時代の友人の話を聞くと、セクハラやらパワハラ話のオンパレードで、相当恵まれているのかもしれないと思ったけど、それでも当時は、一回り上の気前良い頼れるおじさん、以外の感情を持つことはなかった。


5年勤めた会社を辞めるとなった時、上司は既に直属ではなくなっていたけど、それでも社内で最も頼れる人だったから、一番先にその話をしに行った。昼休みの終わり掛けに、駅ビルの狭い喫茶店の隅で、転職先が決まった、お世話になりましたと業務報告みたいな話をすると、泣かれた。アラフォーおじさんに目の前で泣かれるのは正直キツかった。嗚咽を漏らしながら、ぽつりぽつりと声を絞り出すように話す。お前元々キャリア志向だったし、ここじゃもったいないと思ってたよ。いいとこ見つかって良かったな。でも俺はお前ともう少し一緒に働きたかったよ。今まで見てきた何十人の部下の中でもお前が一番優秀だった。あの時飯塚のアイディアがなかったら、あのまま事業が頓挫してたかもしれないし、少なくとも俺はここまで残れてなかったよ。ありがとうな。次の会社でもがんばれよ。ここまで頑張ってくれてありがとうな。ぬるくなったカフェオレを飲み干す頃には何故か私の目も腫れていた。ブッサイクだなと言い合いながら職場に戻った。


転職してからの暫くは、右と左はわかるけど、今日が何年何月何日なのかがわからない、目まぐるしい日々が過ぎて行った。自分が望んで進んだ道だから、後悔はなかったし、次の会社でがんばれと言われた手前、休みが無かろうが、結果が出なくて苦しがろうが、がんばるしかなかった。新卒時代に付き合っていた彼は、気が付いたら一か月連絡していないこともザラで、そうこうしている間に知らない女と結婚したことを、前職の同期のSNSに上げられた挙式の写真で知った。転職して3年の間に2回引っ越し、それなのに家に帰るのも1年の半分くらいで、日々全国を飛び回り、彼と最後に遊んだのがいつかなんか、全然記憶になかった。関係がいつ破綻していたかわからないけど、この知り方は少なくともショックだと、その件で久しぶりに同期と連絡を取ったのが、7年前の春だった。

 

 

 

 

 

 

 

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うーん小説風むずい。

続くのかな…