推定寿命97歳の長すぎる余生

そんな生きる必要ある?

妊娠中の記録

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2023年2月某日、子どもが産まれました。

 

「産まれました」って書くと本当当たり前で簡単なことのようだけど、妊娠中も出産もその後の育児も全部思ってたんと違う!!ってくらい大変でした。

 

十月十日と言われる妊娠期間(実際には9ヶ月くらいだけど)書き溜めていたメモをこちらで供養に出します。

 

☆2022年6月頭

休みにレディースドックを受けようと思い、前日の夜、その時点で生理が来ていなかった(前回のピル服用終了後の退血から35日経過)ため、念のため市販の検査薬で調べたところ薄〜く陽性反応が出る。

 


☆翌日

かかりつけの婦人科は休診だったため、別の産婦人科クリニックを予約なしで受診(トータル待ち時間4時間半)。病院では微熱だったため院外の待合所で待機。エコーで右卵巣の腫れ+子宮内に3mmの黒い影が発見される。排卵日がわからないからなんとも言えないが、通常の5週目にしては小さいため、妊娠成立してまだ1週間〜10日程度かもと言われる。通常で言えば予定日は翌年1月末だけど私の場合は排卵が遅かったから2月の頭だろうとのことで、子宮内の塊がきちんと成長して1cmくらいまで大きくなるか見るため来週の予約を入れる。

 


☆その週

つわり的なものはないけどお腹の張りが尋常じゃなく、ストッキングや仕事で使う無線をぶら下げる腰のベルトがキツい。妊娠にしては腹出るの早くない?となる。

 


☆翌週

先週の帰りがけに受けた尿検査の結果の妊娠ホルモン値は通常の週数の人よりやはり少なめ。子宮内の塊は5mm程度にはなっていたが、それとは別に未だ腫れている卵巣の近くにも6mmほどの塊が見えるためそれが子宮外妊娠の可能性もあるとのこと。以前受けた右卵巣嚢胞の手術の影響で卵管が癒着したりしてうまく受精卵が子宮にたどり着けてない可能性もあるため、最悪卵管破裂の可能性もある。手術した病院の受診を勧められる。(この日は受付から終了まで2時間)

 


☆翌日

急遽シフトを代わってもらい、手術した総合病院を予約なしで受診。以前の担当の先生はいない曜日だったため、他の先生に見てもらう。血液と尿検査の結果も踏まえつつ、エコーで見える子宮内の5mm塊が胎嚢になりかけてるもので間違いないんじゃない?(適当)ってことと、卵巣の周り中心に腹水が溜まってるからお腹張ったり痛いし食欲もないんじゃない?(これは本当そうだった)と言われ、子宮外妊娠の可能性は低いとのこと。(そもそも卵管で6mmまで大きくなることはあまりないらしい。)ルテイン嚢胞と呼ばれる卵巣の腫れが引けば腹水も治るらしい。次回(7月頭)から検診扱いになるから母子手帳を貰ってくるようにと言われる。妊娠届を貰い、助産師さんに母子手帳の受け取り方や検診までに準備することの説明を受けて終了。(朝8時半の受付からトータル4時間)一度帰宅して普通に半休明け出勤。

 


☆6月半ば

・つわりなのか腹水のせいなのか徐々に強めの吐き気がスタート。普段もストレスが吐き気や嘔吐に出るタイプなのであまり気にしてなかったが、終日船酔いのような胃のムカムカ不快感、食欲不振であまり食べられない。

・波はあるが午前中とか空腹時に吐き気が出やすい気がする。紛らわすために果物しぼりたてジュースみたいなやつをつい飲んじゃう。

・おりものは相変わらず量が多く、ずっと白かったけど一時茶色のやつが出た?腹痛は気にならなかったため静観。

・日に日に気分が悪く無い時間が短くなっていく。

・今難なく食べられるもの:ゼリー、麺類、バナナ、小さいサイズのカップ麺、モロヘイヤ、チーカマ(※数日後にはいずれも食べられなくなった。)

・朝イチで胃が波打ってトイレ駆け込むけど空っぽだから何も出ない。

・食べ物の匂い全般結構やばい。

 


☆6月下旬

・夕方突然の性器出血でパニック。そんなに量が多くなかったが、出血があればすぐ連絡してと言われていたのに総合病院に何故か電話繋がらず、最初にかかったクリニックに電話して診てもらうと、切迫流産との診断。1週間の自宅安静を言い渡され、会社に連絡。出血を止める薬と子宮の収縮を抑える薬を飲み、最低限の家事と食事以外はなるべく横になるようにとのこと。時間外なのに診てくれたクリニックの先生には感謝しかない。看護師さんも一緒にモニター見に来て、胎嚢も2㎝くらいにまで大きくなってるよ、この大きさなら6週目くらいかな、良かったねと皆さんに言って貰えた。良い先生達すぎるから本当分娩もやって欲しい。

・よりによって猛暑の1週間、自宅で屍のように暮らす。出血の後にお腹のシクシクする痛みも出て来た。吐き気は前週より控えめになっていて、赤ちゃん?細胞?が生きてるのか本格的に心配になる。よだれづわりが追加でスタート。

・総合病院にも電話したものの、次の検診の7月頭までは来なくていいと言われる。切迫流産は薬飲んで安静にするしかないのと、どうせ心拍確認は7月頭まではできないだろうから、ひとまず出血治ったら仕事復帰していいとのこと。(相変わらず雑塩対応なので早く転院したい。)

・3日くらいで出血は治り、4日でお腹の痛みもほぼなくなった。職場には迷惑かけて申し訳なかったけど、つわりが戻りつつある気がしたので、休みでありがたい。

・大人しくしているとつわりは日に日に軽くなって、量は少ないけど割と食べられるようになり、これはこれで逆に不安になる。

母子手帳を貰いに夫と役所へ。マイナンバーが要るとのことで住民票の写しを貰ってから担当部署に妊娠届を出して、手帳について色々な説明を受けた。何で今どきクーポン類全部手書きなんだろう。十何回分とある健診のクーポンそれぞれに2箇所も名前と住所等書く必要があるアナログ具合。お役所っぽい。

 


☆7月頭

・結局6月末は10日ほど休みと在宅勤務にさせて貰ったため久々に出勤。よりによって繁忙期なので復職初日もバタバタいつも通り走ったり立ちっぱなしで働いてたら夜になって茶色のおりものが出た。子宮のシクシクチクチクした痛みも再発。休日なのでどっちにしろ月曜の検診まで何もできないので放置して様子見。

・出勤するとつわりも以前と変わらないかもと思うくらいには気持ち悪かった。特に昼時色んなお弁当や食べ物の臭いが混ざると催しそうになる。

 


・4日に夫と初回検診に行って無事心拍確認!ピコピコ動いていて頭と胴体もわかった。病院着いてから検査終わるまで2時間くらいかかったけどとりあえず一安心。相変わらず右の卵巣は3センチくらいに腫れている。また、妊娠前にかかりつけ医にも言われてた子宮頸部のポリープが健在らしく、それで出血はしやすいかもと言われる。次回の検診は1ヶ月後、8月の頭。遠いなと思いながら病院を後にする。

 


・夫が出張で不在がちになるため、万が一何かあった時のため、少し早いと思いつつ近くに住む自分の両親と、ついでに大阪の弟にだけ妊娠を伝えた。母子手帳見せて新メンバー加入するよと言うと、母は割と素直に喜んでくれて(不妊家系だから心配していたのもあるけど)プチ過保護モードに突入。普段口数少ない冷静マンの父は、母子手帳見せたら動揺して「え?何?誰が?母さんが?!」とパニックに陥って扇風機に激突していた。落ち着いて欲しい。弟はLINEでの報告で反応は案の定薄めだったけど、父親の反応を伝えるとめちゃくちゃうけていた。

 


☆7月半ば

・波はまだあるものの9週目に入ると若干つわりが落ち着いて色々食べられるようになった。吐き気が強まる空腹時間を減らすために常に何か飲食してるため虫歯が心配。

・食べられるようになると、改めて好きなもの飲食できないのが辛いと実感する。お寿司(生魚)、生ハム、生肉、生卵、非加熱ナチュラルチーズ、ジャスミンティー、シナモンティ、カモミールティー、お酒。特にこの暑さでビールやハイボールを我慢できてるだけでも本当褒めてほしい誰かに。ついでに100万円くらい欲しい。

 


☆7月下旬

・11週くらいになると軽めの食べづわりくらいのみになってだいぶ楽になり、仕事で多少無茶しても大丈夫な体になった。つわりが落ち着くとそれはそれで赤ちゃん無事なのか不安になる。

・心配を軽減するために自宅で赤ちゃんの心音が聞こえるエンジェルサウンズという機械を買ったけど、全然一向にそれらしき音は聞こえず不安だけが募る。

・夫が風邪をひいて帰宅し、発熱もあるからコロナなんじゃないかと不安になる。

 


☆8月頭

・検査受けなかったからコロナかわからないけど、夫の熱も下がり一安心。2回目の検診は経膣じゃない普通のお腹エコーでしたが、5〜6センチにまで成長した赤さんが確認できて一安心。子宮がかなり後屈らしい&便秘でお腹の中のガス等モヤモヤが多くて全体像はあまり見えなかったけど、心臓がぴこぴことか身体がヒョコっと動いてるのは見えた。

・初回の血液検査は異常なしだが風疹の抗体はないそうで、産後までは予防接種できないのでひたすら気をつけるしかないとのこと。尿検査のタンパクは±はほぼ−なので気にしなくて良いらしいけど気になる。無痛分娩の希望があるため転院を考えていることも伝えて、子宮頚がんの経過観察の検査を受けて、助産師さんの面談を受けて、トータル2時間以内で終了。

・義実家にも日本酒「初孫」を持ってご報告完了。

・妊娠してから本当髪の毛がパサパサかつめちゃ抜ける。手櫛軽く通すだけで3本とか抜けるからそのうちパサパサハゲになる。便秘気味なのも影響してると思うけど、やはりお腹が前に張り出し始めてきた。代わりに胸の成長は一旦スローになった気がする。

・夫の置き土産か、寒すぎる会社と行き帰りの電車のせいか、夕方になって喉のイガイガ発症。

・翌日体温36.9度と高め+咳も若干出る。イソジン妊婦ダメなの知らずに2回使ってしまった。薬も飲めないしのど飴もものによってはダメだし長引きそう。

・その日会社着いたら更に悪寒強くなり、腰回りの違和感と痛み、頭痛で立ってもいられなくなった。熱は37.0度。上司に相談して早退させて貰うも帰り道にもどんどん悪化し、家に着く頃には37.8度、20時には38.8度まで上昇。1年前のワクチン接種以来の苦しみだし、薬が飲めないのでひたすら寝るしかないのも辛い。婦人科に電話するも発熱外来に聞いてとの一言で相変わらずの塩対応。絶対転院する。

・翌朝には37.9度までは一旦下がったので、予約できた発熱外来へ歩いて向かう。往復とPCR検査と投薬でトータル3時間かかったけど、妊娠中も飲める解熱剤と咳止めをようやく入手。帰宅すると実家の母が果物等を玄関先まで届けてくれた。感謝。薬のおかげで36度台に下がったのでお風呂にも入り就寝。

・翌朝起きたら喉が激痛&鼻詰まりと鼻水ひどい&咳も止まらず熱は37.2度。良くなったと思ったけど薬が切れるとこうなるのか〜と、喉に刺激が少ない果物だけ食べて薬を飲んで横になる。11時前に病院から電話が来てPCRの結果は陽性。10日間の自宅待機などを会社や家族に連絡し、一通り終えたところでショックがぶり返す。昼にはうどんが喉を通り、眠れはしないが横になる。熱は37度前後だけど、しんどさはそれ以上。会社にも夫(出張先から帰宅して私と会えば、濃厚接触者として10日以上自宅待機になるため、実家に直行してもらった)にも申し訳ない。両親が差し入れ第二弾でまた果物や大好物の冷製トマトスープや豆腐を片道1時間かけて置き配しにきてくれた。感謝。私がお腹の子に既に思っている「何がなんでもこの子を守らなきゃ」って感情を、恐らく向こうも私に対して30年以上持ってくれてるんだなぁと思うと流石に泣ける。泣きながら差し入れを食べた。(情緒不安定。)高齢者、妊婦や基礎疾患ある人へは保健所からの連絡が電話で毎日来て10分以上ヒアリング。鼻詰まり酷いし喉痛いしでうまく話せない。希望してたホテル療養は基礎疾患等のリスクのない軽症者のみの受け入れだから、妊婦NGらしい。妊娠は病気じゃないっていつもは言うくせに、こういう時だけご都合主義。かかりつけ産婦人科医に1時間かかってようやく電話繋がり、コロナでも症状悪化したり出血や腹痛あれば見てくれるとのこと。ついでに先日の子宮頸がん検査の結果も問題なしと言われて少し安心。

 


☆8月中旬

・発症から5日経過するも熱は平熱〜微熱を行ったり来たり。痰や咳は前日より良くなってはいるものの、咳は発作のように一度出ると暫く止まらないから苦しいし鳩尾が痛い。鼻詰まりも取れたけど味覚と嗅覚は完全喪失のまま。茶色のおりものも3日連続出ていて治らない。エンジェルサウンズでも相変わらず臍帯音らしいものしか聴こえず心音は聴こえない。

・発症から9日経過して完全解熱したけど後遺症がまあまあ酷い。味覚嗅覚障害、倦怠感(何もしてないのに尋常じゃない疲れと眠気)、空咳、痰、たまに頭痛あたりが残ってる。お腹もたまに痛いけど、おりものは正常なのでとりあえず静観。12週の終わりかけにようやく初めて心音らしい音がたまーに聞こえ始める。

・当初の予定通り発症から10日で自宅待機解除にはなったものの、出勤再開して1週間経過しても後遺症は相変わらず。出先で目眩で倒れることもあり一人で出歩くことにも抵抗あり。夫とも約2週間ぶりに再会し、エンジェルサウンズで心音を聴かせてあげることもできた。聴こえるのは数十秒で、相変わらずその後どこかに行ってしまうのか臍帯音のみになる不思議。

・お腹の毛が濃くなったのが気になる。ちなみに10週目前後からは永久脱毛してせっかく2年ツルツルを保ってきたVラインにも毛の生命力を感じるようになった。脱毛前ほどではないにせよ、悲しい。こんな毛達に何が守れるというのか。

 


☆8月下旬

・心音は安定して毎日聞こえるようになって安心。後遺症は嗅覚障害と軽い痰くらいになった。鍼を打って貰ってもう少し良くなることを祈りたい。漢方を処方されたので飲んでみたけど下腹部の痛みが出たので中断。お腹が出っぱって会社の制服スカートがキツい。

・3回目の検診では5本の指やら手を吸うような仕草までする、しっかり人間の形をしたベビさんの姿がエコーで見えて感動。コロナも耐えてくれて感謝しかない。無痛分娩有りの別の総合病院の紹介状を書いてもらった。

 


☆9月頭

・安定期に入ったので母方祖母や親戚、職場の人、一部の友達にも随時妊娠報告を開始。割と普通におめでとうと言って貰えて良かった。

・戌の日に両親と安産祈願へ地元の氏神様の神社へ行った。コロナ対策で大人2人までしか入れないと言われたけど、めちゃ広い部屋に私と母2人と神主様だけで、通常参拝のところはもちろん開いてて換気もバッチリだし、これなら父も入れたのでは?となった。立ち仕事と長い通勤時間でどうしても仕事の日はお腹がカッチカチに張ってしまうので、妊婦帯を巻いて冷えと腰痛対策をスタート。

・結婚から1年3ヶ月経過してようやく父方の祖母と親戚に結婚挨拶と妊娠の報告。県内だけど片道1時間半の長旅でした。(※なお毎日の通勤時間と変わらない。)帰りに夫とも熱田で安産祈願してきた。空調完備の立派な神楽殿で普通に一般のご祈祷やお宮参りの方々と一緒にお祈りして貰った。

・この頃お腹の中から「ぽこり…ぽこり…」と腸とは違う胎動らしい刺激を感じるようになる。

 


☆9月中旬

・分娩予約のため無痛対応有りの総合病院を初受診(10:30予約だったけど終わったの12:30過ぎ…)。前の病院より設備が古くて待合室が狭く、検尿用のトイレも和式が過半数とかで萎えてしまった。そして不妊不育センターも併設で色んな人がいると気を使う。12月位までは前の病院でも良いと言われたので、そうすることにした。帰りに分娩同意書や各種手続きの案内、分娩のしおり等を渡されていよいよか…となる。まだ5ヶ月先だけど。

・ついでの健診エコーで我が子の性別も判明。顔は埋めて終始耳以外見せてくれない割にはお尻だけ丸出しというお茶目なシャイボーイでした。

・ようやく安定期らしくなってきたというか、食欲もあるしコロナ療養時に落ちた体力も戻ってきて割と普通に働いたり少し出かけるのも苦痛じゃなくなってきた。ただし体重の増加率が割と恐怖。そして尿検査で糖尿±が出てたので、つわりが終わっても惰性で飲食してたゼリーやお菓子は断つと決意。

 


☆9月下旬

・会社の健康診断でも低血糖が出て初のC判定。確実に糖尿コースですわ。コレステロール値や中性脂肪も爆上がりしてた怖い。

・胎動は日に日に強く感じるようになり、とりあえず生きてくれてるなら良かったと思いつつも、母子ともに色んなリスクを背負うことになるのでまじで糖尿は治さないとやばい。

・会社のガイダンスで各種制度の説明とともに、保育園入園と復職タイミングを早く決めてと急かされる。まだ産休入る時期も決めてないのに…って感じでゆる保活開始。

 


☆10月頭

・妊娠以来初の県外へのおでかけ。糖尿のことは忘れてひたすら食べまくった。ついでに夫に性別発表。ジェンダーリビールケーキならぬ、リビール用の箱(手作り)とかクラッカー(市販)用意したけど、結果には「おーっ」というテンション低めの反応。

・胎動は日夜ポコポコと元気だけど、基本出張で不在がちな夫が帰ってくると、毎度久々に会う人の声を忘れるのか、突然静まり返る。1〜2日聞き慣れてくると普段通りポコポコ動き出す。シャイで忘れっぽいボーイらしい。(めんどくさそう)

 


☆10月中旬

・私の食事中や後、寝る前や早朝に胎動が激しくなって寝てると眠りが浅かったり中途覚醒したりするけど、胎動あんまり感じない日よりは全然マシ。静かだと生きてるのか不安でどうにかなりそう。

・転院元の病院で予約なしでの健診だったので3時間弱待ちだったけど、無事に見てもらえてここ最近のお腹の張りや茶オリっぽいものも特に問題は無かった。糖尿もクリア!相変わらず尿蛋白は±出てるけど大丈夫なのか。頭の直径6センチ(前回から+1.3センチ)大腿骨3.5センチ、(+0.83センチ)、推定体重544g(+200g)で順調に育っている様子。今回が初の3Dエコーだったけど、子がよく動き回ってて先生が撮影に苦労してた。いつもと違う先生(があえている曜日を選んだ)だから、ちゃんと解説して貰って確実に男の子だね〜認定も貰えた。今回はエコーが任意だったので久々の実費で5300円。来月は健診がいよいよ月に2回になるけど、プラスで助産師外来の有料エコー胎児スクリーニングも予約した。先天性の疾患とか見れる範囲でないか見てくれるらしい。

 


☆10月下旬

・赤子のパンチかキックによる胎動は内臓側とお腹の表面側に向けた時のものがあるけど、前者の時は膀胱が刺激されたり衝撃波(?)が尻の方にまで響くので割と地獄。あと脇腹上部にもボリューム付いてきて、その影響か知らないけど、寝ても座っても立っても歩いても腰痛から逃げられなくなった。腰痛というか左の臀部が尋常じゃないくらい痛い。あと、眠りも浅かったり起きちゃったりで四六時中眠たい。ほんな状態で7ヶ月に突入して、産休まで残り2ヶ月。時が経つのが突然早くなった。

 


☆11月上旬

・24〜5週目は引き続き只管左の臀部の痛みに悩まされた。調べたら坐骨神経痛の一種のようで本当地獄だったけど、朝晩の柔軟なマッサージとトコちゃんベルト(頂き物)で何とか普通の生活できるくらいには復活。寝てる時の左脹脛のこむら返りも毎晩声が出るくらい痛いけど、着圧ソックスを履いて寝るとならない。もっと早くに知りたかった。

・1ヶ月ぶりの検診で久々に夫と病院へ。頭の直径7cm(1ヶ月で+1cm)、大腿骨4.cm(+1.2cm)、ウエスト21.5cm(+5cm)、推定体重1028g(+484g)で、私も尿検査含め特に何も問題なし!胎盤にべったり張り付いてほとんど顔を見せないけど瞼とかもできてた。ここ数日胎動が激しくなってたけど、これだけ大きくなってるなら納得。

・右手の親指手首が腱鞘炎になってボールペンのカチカチすらできない。関節が緩んで腱鞘炎なりやすいのに使える湿布がほとんどないってどんなバグ。

・健診の翌週は実費の胎児エコースクリーニング検査があった。昔卵巣脳腫の手術をしてくれた先生と再会した。先生指導の技師さんがエコーを操作して見てくれて、四肢、指、臓器、肛門、脳、全部問題なく順調に育ってるようで、体重も1週間で1100g台まで増えてた。頭だけ2週分くらい大きめだけど脳に水が溜まってるとかではなく、測り方や角度にもよるし、日本人は頭大きいのあるあるらしい。順調で一安心。立体エコーで顔を捉えようと先生達も前のめりになるけど、相変わらず胎盤にぺっとり顔をくっつけてなかなか見せてくれないし最後寝た我が子。マイペース。

 


☆11月下旬

・安定期最後に結婚パーティーのため東京へ。夫の友達が勤めるスタジオでマタニティフォトも撮ってもらい満足。

・日常動作というより絶対スマホ操作のせいだけど右親指の腱鞘炎が酷くなり、湿布も貼れずもはや文字書くのも辛い日々がスタート。

・今回の健診ではエコーなしだったので、心音だけ聴かせてもらった。血液検査の結果は貧血以外特に問題なし。自覚症状もなかったけど、鉄剤を2日に1回飲むよう処方される。

 


☆12月上旬

・難病を患う祖母が退院して家に戻ったと聞き、1年ぶりに会いに行った。寝たきりで、以前の面影もないくらい痩せ細って弱々しかったけど、エコー写真見せたら「可愛い」と言ってくれた。そしてその翌日に他界。自分が初孫で愛されていた実感があったので、待ってくれてたんだろうなと思う。ひ孫の顔を見せてあげたかった。葬式ではベビさんは巨大おりんの音に共鳴してめちゃくちゃ暴れていた。ビートに乗るタイプ。

・今月から分娩予定の病院で健診となるので3ヶ月ぶりの来訪。母子共に順調でベビは既に1500g超え(2週間で400g増加)。ここ最近の激しい胎動も納得の重量。最近気になっていたベビの頻繁なしゃっくりや、飛び出しそうな勢いの胎動は特に問題ないとのこと。助産師さんの勧めで便秘薬だけ処方してもらい、帰りに硬膜外無痛分娩のための麻酔外来受診に向けて諸々の検査(心電図、レントゲン、血液5本…)も受けて帰宅。

・後期つわりと呼ばれるものなのか、強めの吐き気に見舞われることが増えてきた。食前食後とか特に法則性はなく、気持ち悪い時は気持ち悪いし、吐く時は吐く。鉄剤の副作用かなとも思ったけど、全然関係なさそう。それに加えて本当文字通り日に日に大きく重くなるお腹と、なぜか両手ともなってしまった親指の腱鞘炎と、トラブル多すぎる。腱鞘炎は整形外科ではカロナール処方されたけど、妊娠中に多く飲むと発達障害の発症率が高くなるとかいう研究を見つけて飲むのはやめた。

 


☆12月下旬

・胎動が日に日にパワフルな感じになって、身体も便秘、腰痛、たまに吐き気、腹痛と下痢というマイナートラブルを乗り越え、なんとか仕事を納めて産休に突入。法定の任意取得開始日は1/2だったけど、残りの有給全部使って1週間ちょい早く、繁忙期前に入らせて貰えて本当助かった。

・休みに入って痔が悪化したので3週ぶりの検診で薬を貰った。母子共に問題なしで、子の体重は1800g(3週間で300g増)超え。相変わらず2時間近く待って診察10分。待合室も狭くて立って待つこともあるから本当しんどい。次は2週間後なので年明け。年末年始は爆食い。

 


☆1月上旬

・痔が一向に良くならないので専門医に診て貰って別の薬を貰った。こんな痛いし酷いように見えるけど、1ヶ月程度で元に戻るやつらしい。1ヶ月は力めないからどうか予定日くらいに産まれてくれ…(※現時点で予定日まであと37日。)胎動が強すぎて肋骨剥がされそう。後期つわりっぽかった吐き気は感じることがほぼなくなった。

・2週間ぶりの検診は今回も問題なしで、1分未満の白黒2Dエコー代のみで5300円也。。。年末年始挟んだし(言い訳)自分も1キロ太ってたけど、子の体重も2380g(2週間で500g増)と爆増してた。頭は相変わらず大きめらしい。麻酔科で硬膜外麻酔の説明や簡単な診察を受けて終了。本当は翌週から臨月なので検診は週1になるけど、別に特に問題ないので2週間後にした。総合病院は待つしサービス悪いので、なるべく行く回数減らしたい。

 


☆1月下旬

・とうとう臨月に突入したけど胎動は相変わらず強い。そして少しでも油断すると2日で0.7キロも体重が増えたりする。(便秘の影響もあるんだろけど。)お腹も大きくなって来て、初期から履いてるマタニティ下着とかが若干キツい。特にシムス位(横向き)で寝るとパンツの縫い目が横腹に食い込んで痛いため、気付くと仰向けで寝てたりする。それも苦しくて目が覚めるという地獄。

・37週の正期産に突入してからの初検診ではNST(胎動や陣痛を見る?ノンストレス検査)と内診があった。前者については終わっても何も言われず、最中は眠気との戦いだった。内診では子宮口1センチ開いてるとのこと。子は2793g(2週間で400g増)で相変わらず順調に育ってる。夫が2/3まで12日間の出張に行ってしまったので、できればその後の平日昼間に生まれて来て欲しい所存…(無痛分娩がいいから)。

・前回の検診で受けたおりもののGBS検査が陽性だったため、子供が感染しないよう分娩時に抗生剤の点滴打ちながらになるらしい。後から調べたらお股周辺にいる細菌で、妊婦も2〜3割の人が陽性になるらしい。帰りがけに後期血液検査(4本も…)と骨盤のレントゲン撮ってお会計12000円也。高い。

・お腹の張りが格段に増えてる気がするけど、痛みがあるかと聞かれるとよくわからない。痛いっちゃ痛い?くらい。生理痛も普段ないからどういう痛みなのかも正直わかってない。他の人の出産レポを読み漁り、破水対策のためにベッドに大判介護シーツ敷いて近くにペットシーツと洗面器は用意した。

・38週1日の検診では子の推定体重2907g(1週間で114g増)だったけど、私の体重は増えてなくて良かった。血液検査や骨盤のレントゲンの結果、NSTも問題なし。久々にエコーで顔見せて貰ったけど、相変わらず手で顔を隠して指の隙間からコチラを見ていた。優しい先生なのに内診グリグリが激痛で思わず声が漏れた。2日前から花粉症も発症してしんどかったので薬を処方して貰って健診終了。前回のNST費用が会計に計上されてなかったらしく、それも合わせて9700円也。高い。

・内診グリグリの刺激で血が出るかもと言われたけど、それよりも下半身の重だるさ、腰痛がしんどかった。花粉のせいで微熱(37.0)があるからなのかもしれないけど。花粉の薬飲んだら少し呼吸が楽になって久々に昼寝で熟睡。起きてからも腰痛は引かず、内診グリグリから腰痛と腹痛発症、そこから陣痛に繋がったという人が結構多いと知ってビビり散らかす。この時点で夫が帰ってくるまであと4日、予定日まであと14日。熱も下がらず37.2。普段と違って布団が冷たく感じるくらい悪寒が止まらないし、腰も爆発しそうだしで、ビクビクしながら腰を温めて就寝。何度か中途覚醒はしたものの、腰温めて汗かいて寝たら翌朝には腰痛も熱も引いて一安心。

・検診の翌日も2日後も茶色のおりものが出た。粘性のおりもので、所謂おしるしなのかもしれないがよくわからない。お腹の張りも歩いたり動くと感じるけど、呼吸ができないくらいの腹痛だとかチクチクする生理痛の重い版だとか言われる前駆陣痛のような感じはしない。相変わらず夜になると胎動も活発で右脇腹を永遠に蹴られる。

 


☆2月頭

・無事に夫が出張から帰宅し、いつ産まれてもいいぞとなったけど産まれる気配はなく、一人で鬼滅の映画を観に行ったり、産後に向けてメガネを新調したりのんびりと過ごす。陣クスと呼ばれるモノ(焼肉、カレーを食べる、オロナミンCを飲むなど)に挑戦したりして、満月の日に張りが強くなって10分間隔になったりもしたけど、陣痛にはつながらず。

・39週の健診(2/6)は推定体重3200g(ここに来て1週間で300g増)で、NSTも問題なしで子は元気そう。子宮口の開きも指1本分から変わらず。内診グリグリをまた受けて、5300円払って帰宅。先週のような腰痛も起こらず、翌日若干赤い血が混じった茶色のおりものが少し出ただけだった。

・1週間後の同じ曜日の検診の予約がもういっぱいで、予定日(2/12)+3日目の2/15まで来院できないことに。予定日過ぎたら計画無痛って話だったけど、そちらも予約が埋まってるとかで最短で予定日+8日(2/20)となり、まじかぁとなる。

・いつお産スタートかわからないから遠出はできないし、子もデカいし、もう体重管理や運動やらも疲れたから、産まれるなら早く出て欲しい気もするけど、産まれたら産まれたで大変だからまぁいいかと呑気に構える。 

 

 

この続きは出産の記録としてまた別の記事にアップしようかと思います。いつか。できたら。

 

石垣島に行きました2022〜後編〜

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前編(https://callemanila.hatenablog.com/entry/2022/04/28/123601)で2日目のお昼までしか書いてませんが、後半に参ります。

 

昼過ぎの便で石垣島に戻るとまた天気が良くなりだしたので、今しかチャンスがないかもしれないということで急いで川平湾に向かいました。


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離島ターミナルで具志堅像と写真を撮って、毎度恒例マリヤシェイク(大好き)とポーたまを買って食べながら車で約30分で島の反対側へ。

 


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これぞ!っていう色の川平湾を見ることができました。

団体含め観光客がとても多かったので、写真だけ撮ってグラスボートも乗らずに景色を堪能。

 


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軽石も除去されてるし、流石の透明度です。

 


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グラスボート待ちの猫ちゃんを観察したり、めちゃくちゃ地面に近いブランコに乗ったりもしました。

 

川平湾から車で10分くらい獣道を走ったところにある川平タバガーにも行って来ましたが、もう干潮時刻だったのと雲も出てきて残念な景色に。。

 


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いい感じに切り取ってもこれが限界。

辿り着くまでの車1台がギリギリ通れる幅のジャングル道のドキドキ感の方が楽しかったです。

 

この後は遠浅な綺麗なビーチでファミリーにも人気という底地(すくじ)ビーチにも行ってみましたが、この日の干潮時の干上がり方が尋常じゃなくて、、、

 


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潮干狩り仕様になってました。

白いラインのところまでが通常遊泳可能区域なんだけど、遊泳も何も…って状況。

水たまりみたいなところに取り残された小魚が結構いましたが、完全に干上がるまでに潮が戻ってくるのか…?

 

そんなこんなで2日は早めに晩御飯を食べようと市街地へ向かいます。

島民の人しかいない、たまたま見つけた居酒屋あずさ丸さんへ。


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このお店はまた来たいってことで翌日の夜もテイクアウトで使うんですが、本当美味しい。

お刺身はこれだけ載ってて500円とかイカれてる。


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成人男性の手くらいのサイズのもずく天ぷら、中身チャンプルー、イカ墨炒飯、らふていなどなど完全に頼みすぎた。

 

ホテルに戻ってからお酒タイムにもほとんど入らないくらいご飯でお腹いっぱいになりました。

 

 

4/20

3日目は何しようねーと話しながら寝落ちした翌朝、昨日のモリモリ移動&観光が祟って案の定全然起きられない。

8:30過ぎに朝食バイキング2軒目の方のBOLD kitchenへ。


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こちらはフロント棟の上にあるので、我々の部屋からは少し遠いですが、ガーデンテラスとかに泊まる方は近い。

ピーク時だからか入店までに10分弱待ちました。

こっちは洋食メインですが、料理数が琉球新天地より多く、ライブキッチンや子供向けの食事ゾーン、デザートも豊富でソフトクリーム(ブルーシール!!)などもありお子様連れにやっぱり大人気な様子で大賑わい。

窓側の席だと客室のある中庭も見えます。この辺泊まる人はプライバシーがちょっと気になるかも。

 

1時間以上かけてゆっくり大量の朝ごはんをいただきました。全部美味しかった。

お腹ぱんっぱんなのでホテル内を散策して運動。


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朝は天気が良くない八重山あるある(?)。

部屋に戻り、今日はホテルでゆっくりするか、街中に出るかどうする〜とか会話しながら私は二度寝

昨日の疲れが全然取れない30歳。

 

気付いたら2時間くらい寝てたようで昼になって慌ててお出かけ。笑

夫が繁華街を見てみたいというので離島ターミナルに車を停めて歩いて観光客らしくユーグレナモールや730交差点あたりを散策。

 

前回(3年前)一人で石垣島来た時はもっと賑わってたしお店も色々変わってましたが、多分去年とかよりはよっぽど賑わってたんだと思います。

 

そして前回の時もブログ書いたので突然思い出した。

https://callemanila.hatenablog.com/entry/2019/06/18/221800

https://callemanila.hatenablog.com/entry/2019/06/23/212101

https://callemanila.hatenablog.com/entry/2019/07/28/223320

この時も天気が悪く雨宿りしながら元彼(現夫)の写真を消したりしてましたね、、、人生何があるがわからないから怖いね。

 

1時間近く散策したけど結局何も買わずにまたマリヤシェイクをターミナルで買って飲んで、ご当地B級グルメのオニササを買いに知念商会へ。

 


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オニササは「おにぎりとウスターソースやマヨネーズ等で味付けした鶏ササミフライとをビニール袋に入れ、一体になるよう握って形を整えたもの」(Wikipediaより)だそうで、店内のショーケースの中にさまざまなフライとおにぎりが並んでいます。

 

ビニール袋に手を突っ込み、その状態でセルフで好きなフライとおにぎりを掴み取り成形します。

 

観光客の我々がもたつく中、地元民の方は慣れた手つきでチャキチャキとオニササを作ってレジに持っていきます。

 


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私は王道のささみのフライとたまごふりかけのおにぎりにしましたが、これが本当おいしい。

 

運転や作業してても手軽に食べられるし、フライが油っこくなくて、普段もう油が無理な30歳の胃と口にもするする入る。

 

オニササもっと流行ってくれ。。

 

そして車で食べてる時にめちゃくちゃ晴れだして、こんな天気良いならホテルのビーチとプール楽しめそう!ってことでホテルに戻る。

 

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で、戻って着替えると曇るのは何なんですかね???

 

曇って若干肌寒いのに私は本日2度目の昼寝。

赤ちゃんばりに寝てます。昨日の疲れがやばい。

 

2時間くらい寝たら、夫が寒がってた(ごめん)ので、温水の屋内プールでも行くかーとなると晴れだす不思議。天気の神様に嫌われすぎている。

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屋内プールは大浴場と同じ建物内にあり、スライダーと大人用の水深120センチくらいのプールと浅い子供用のプールがありました。

浮き輪が無料で借りられるので、ぷかぷか浮かんだら沈め合ったりして遊びました。

周りはカップルや夫婦、小さなお子様連ればかりでグループ旅行みたいな人がいないので割と静か。

 

そのままお風呂にも入って、晩御飯は昨日と同じあずさ丸でテイクアウト。生物はテイクアウトできないのでお刺身はなし。

 


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イカ墨ソーメンチャンプル、ヒラヤーチー、揚げ餃子、島らっきょうの天ぷら…この日も美味。

じーまみー豆腐は普通にマックスバリュで買いましたがこれもまたうまい。。

 

ほとんど食べるか寝るかしかしないまま3日目は終わり。

 

4/21

4日目は唯一出発前から計画していたダイビングデー!

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朝7:30くらいには迎えが来るため、6:30から朝ごはん。2回目となるともう迷いなく食べたいもの選べるね。メニューの一部は変わりますが。

 

今回お願いしたのはダイビングショップライアンさん。

https://ryaaan-ishigaki.com/

ホテルでフィンと靴下、マスクとシュノーケルとだけ選んで港の方へ向かいます。

 

今回は他のダイビングショップの船に乗り合わせで、一般ダイバーさん3名達と一緒にポイントに向かいます。

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私は体験ダイビングが既に3回目?とかでしたが夫は初めて。

最初のポイントで他の方が潜ってる間に私達はまずはダイビングのポイントレッスンやらシュノーケリング、素潜りで慣らしていきます。

 


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潜る前からすでに水の中が見えるくらいの透明度。

深さはそれなりにあるので遠くに魚が見えます。

水中写真などは全部ライアンさんに撮ってもらえるので楽&お得です。

 


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ガチカメラなのでめっちゃ綺麗。

 

水に慣れたら次のポイントでいよいよダイビング。

他のダイバーさん達(休憩中)に行ってらっしゃい〜と見守られながらお姫様ダイビングです(機材の準備やら何から何までやってもらえる笑)。

 

少し曇って水温が下がったのもあり若干震えながら入水。

 

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イカリのロープを伝ってゆっくり潜水していくので、耳抜きもしやすい。

与論島で体験やった時はもっとスパルタだったので耳ぶちいかれた記憶。。

 


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新婚旅行だと伝えたので、こんな感じでサプライズのメッセージなども用意してくれました。

まあまあ水流もあるリーフのポイントなので、珊瑚を傷つけないよう岩の部分にしがみついてるのがめちゃくちゃ大変で、ぶっちゃけそれどころではなかったですが。笑

あまり二人で写真を撮らないので記念にはなりますね。

 

一度上がって船のシャワーを借りて休憩がてら、

次のポイントに向かう前に船上お弁当タイムです。

おにぎりとおかずと温かいお味噌汁が出て冷えた身体を復活させます。

かなり風が強くなり波も出てきた頃、他のダイバーさん達も海から上がってきて黙々と食べる。

ダイビングショップの方達が色々情報収集してくれてマンタが見えるかもポイント(川平湾の近く)へ。

 

本日2度目のダイビング。


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透明度はイマイチ(これでも)ですが、リーフが本当綺麗で魚の種類もめちゃくちゃ多い。

船の近くの海底をゆるっと移動しているといきなりマンタさんに遭遇!

 


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思わず息が止まる。(ダメです)

 

人がフィンをつけ、エアタンクを乗せて必死に海中でもがいてるのに、なんの労力も使ってないような様子でフワーっと目の前を優雅に泳いでいく。

そしてとにかく大きい。

 

この時期はマンタが集まって回遊するポイントがないらしく、たまたま通りかかったようです。

 

この後も同じところに待機してると2回ほど姿を見せてくれました。

 

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砂地がないのでまた岩にしがみついてますが、珊瑚がゴロッゴロなので触れないようにするのが本当大変。

ダイビング免許取ってちゃんと浮かべるようになりたいなあと改めて思いました。

 

お目当てのマンタさんにも会えて大満足。

港の方に戻るところで突然大雨が降ってきて、なんとかギリギリ水温が下がる前に上がれて良かったです。

 

水着着て、着替えとタオルだけ持参すれば、水やお弁当、器材一式貸してもらえて、写真や動画全部くれて、おすすめのお店とかも教えてくれて、ダイビング2本とシュノーケル1回で1人1万5千円という破格の値段設定でした。

ちなみに写真は当日の夜には送って貰えるスピード感。

また石垣島に行くことがあれば利用したいです。

 

 

15時くらいにはホテルまで送って貰えるので、その後はお風呂に入って石垣島最後の晩餐で、ライアンさんのおすすめにもあった焼き肉の大野商店へ。

予約なしで入れたのは相当ラッキーとのこと。

 


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ここの石垣牛がめちゃくちゃ美味しい。

ハーフサイズでも頼めるので色々な部位を試せる。ナムルやキムチも絶品。

 

座席もかなり少なめ(10人くらい?)なので本当入れて良かった。駐車場も1〜2台分しかない。

寒空ダイビングで相当体力消耗したのでばくばく食べて、あっという間に平らげてしまった。

 

最後の晩餐なのに結局サンセットは見なかったです。笑

 


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ホテルに戻りナイトプールやビーチを散策し、ハネムーン特典でいただいたスパークリングワインをいただきあっという間に4日目も終わってしまいました。

 

4/22

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もう最終日!!そしてこの旅行の朝で1番の晴れた空。

私はもう翌日から仕事なのでもう辛いゾーンに入ってましたが、天気が良くてV字回復。

 


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最後の朝ごはんは3日目にも行った洋食のBOND kitchenに行こうとしましたが、9:30までに入店なのに9時前の時点で我々の前に十数組並んでいるので何時の案内になるかわからないとのことで、また琉球新天地へ。

こっちに行くならもう少し朝早く出なきゃいけないっぽい。

 


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3回目ですが本当相変わらず死ぬほど食べてる。

昨日は時間なくて食べられなかった八重山そばも。

 

チェックアウト11時でフライトが14時半なので、先にチェックアウト済ませてもう少しホテルでゆっくりさせてもらうことに。

 


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夏って感じの陽気です。

 


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フサキビーチも最終日に本気出してくれました。

 


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水温は朝イチなのでめちゃくちゃ冷たいですが、ゲスト達は普通にシュノーケリングなども楽しんでました。

 

チェックアウト後もゲストは遊べる&ロッカーなども使用OKなので一旦着替えて来よう〜と思って水着になると、

 

 

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曇る。

 

本当にッッッ!!!!!笑

 

 

腰までビーチの海にも浸かってみましたが、それ以上は不可でした。


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帰ろうとすると晴れたので屋外プールも入ってみましたが、腰までで限界。笑

 

シャワー浴びて着替えて駐車場無料になるICカードを返却して、12時過ぎに急いで空港に向かいます。

レンタカー屋も近いし、空港もコンパクトだからそんな急がなくても大丈夫だよというのんびりな私を無視して、夫は島の反対側の空港までぶち飛ばす。

道中も晴れたり曇ったり。

 

ちなみに石垣島のガソリン台は198円とかでした。

高いけど借りたトールが意外と低燃費で助かりました。

空港でチェックインして、さーたーあんだぎーとポーたま買って帰ります。


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この時がたぶん一番晴れてた。

飛行機から見える海がとってもきれいでした。

 


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途中多良間島宮古島もばっちり見えました。

 

帰りも快適なANA便。セントレアからの便が遅れた影響で15分ほど遅延してましたが、機長さんが「ありとあらゆる手段を使って早く行きます」というアナウンスしてた通り、ほぼ定刻近くでセントレアに到着しました。すごい。笑

 

あっという間の5連休、4泊5日の石垣島旅行でした。

 

夫とは休みが永遠に合わないので次はいつ沖縄行けるんだろうかという感じですが、今年中に一人とかでもまた行けたらいいなと思います。

石垣島に行きました2022〜前編〜

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3年ぶりに行ってきました、石垣島

結婚したのは去年の夏なんですが、私が長期休暇をなかなか取れない職種のため年度が開けてようやく行ってこれました、ハネムーン。

と言いつつこの1年で沖縄は3回目。ハネムーンと呼んでいいのかわからないけど、1年以内だしセーフということにします。

 

4/18

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閑散としているセントレアから20年ぶりくらいにANAを利用しました。

普段はLCCしか使わないので久々のフルキャリアにテンション上がりまくる。

月曜日の朝ですが普通に席は結構埋まってた。


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鬼滅の刃のラッピング機体とかではなかったけど、飲み物のカップが鬼滅柄でこれもテンション上がる。

天気が悪かったため最初は結構ガタガタ揺れてましたが、那覇便よりプラス30分ほどのフライトで無事に石垣空港に到着。

 

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こっちもあいにくのお天気!

空港に着いて生暖かい空気を感じて沖縄着いたな〜と実感。

レンタカー借りて島の最北端を目指します。

ちなみに今回はHISの初夢フェアで飛行機と宿とレンタカーを激安パッケージで買えたので当初の予算の半分くらいで済みました。笑

 

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途中で降りて寄った玉取崎展望台。

干潮時刻だったけど海は綺麗。ただ晴れてたら1億倍綺麗だと思う。

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雨が降らないだけラッキーだけどね!

そして、ここでもう暑くてたまらんということで靴をスニーカーからサンダルに履き替えました。

 

そこからまた車で2〜30分ほどで島の最北端、平久保崎灯台に到着。


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駐車場から坂を登ると灯台を見下ろせる崖みたいなところに辿り着けます。

日本ロマンチスト協会なるものに恋する灯台と認定されているらしいです。

灯台は立ち入り禁止なので見下ろすだけですが、すぐ後ろにちょっとした小高い崖があるので、険しいですがそこを登ってさらに高い場所にも行けます。


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右手に太平洋、左手に東シナ海が見え、晴れてたら他の島も見えるそうです。

観光客は我々以外に数組いるだけなので、上からの景色は独り占め状態でラッキーでした。

この時点でもう16時くらいになってしまったので、今回の宿泊先に向かいます。

 

ちなみに道中はおかしな運転してるレンタカーと、超低速のトラクターと、サトウキビや水がたまに落ちてくるトラックしかいません。ペーパードライバーでも走りやすそう。

(毎度ながら運転は夫にお任せです…すみません)

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ちなみに空港より北側はコンビニはもちろん、商店らしいものもほぼなかったのでおやつとかは空港で調達しておくのが良いと思います。割高な自販機はあるけど。

 

徐々に晴れてきてテンションも上がる。

1時間弱で到着しました、今回のお宿のフサキビーチリゾートホテル&ヴィラズ。

荷物を下ろしてドライバーは車は少し遠い駐車場に停めますが、フロントまでシャトルバスが走ってたりもします。

私はフロントで先にチェックイン。

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おしゃしゃなエントランス!
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この日はもう夕暮れだったので写真は別日のものですが、客室やビーチに向かう方のエントランス出たらこの景色。ザ・リゾートって感じ。

 

チェックインはラッシュ時間でしたが、4〜5人で対応してくれていたのでスムーズに案内されました。

敷地が広く、各施設の案内などもあるのでモリモリの内容です。宿泊中は自由に駐車場に出入りできるICカードやビーチなどで宿泊者の証明になる白いバンドなど色々貰って、あとはお部屋に先に行っててくださいスタイル。(最初は他のゲストのようにカートで連れて行って貰えると思ってましたが、泊まる部屋が比較的近いからなのか徒歩。)

ビーチやプールを見ながら、そして迷いながら部屋に向かいます。

 

今回はヴィラタイプのお部屋です。


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部屋に着いたら荷物だけは既に置いてありました。

ちょうどウェルネスセンターという大浴場と屋内プール、売店のある施設の目の前だったので便利でした。

ヴィラのお部屋はお風呂がユニットなので毎日大浴場使いました。

お部屋の写真は夫がいる写真しかなかったので割愛。

プライベート感あっていいですが、ベランダの外はジャングル?的な木の生い茂るエリアがあるのみで人も歩けるのでカーテン開けっぱなしはできないかなという感じ。ジャングルの向こうにビーチがありますがほぼ見えないので景色は期待できないです。

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こんな感じ。

去年泊まった本島のブセナのオーシャンビューがとても良かったので、次泊まる時は景観も重視して部屋を決めよう。

 

荷物を少し片付けて、晩ご飯を食べに市街地の方に向かいました。サンセットより飯派。

 

ユーグレナ近くの居酒屋はどこも予約でいっぱいでごめんねぇということがほとんどでお店探しは苦労しました。

そして、歩き回って腹ペコ&初日なのでやっぱり八重山そばとか食べたいということで、予約なしでも入れた島料理うらさきさんへ。


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八重山そば、そーめんチャンプル、島豆腐、もずく天ぷらなどをいただく。やさしめのお味で美味!

グアバのサワーも美味しかったです。

 

食後にスーパーでお酒やお菓子とさんぴん茶をまとめ買いし、フサキに戻る。

ホテルの売店はやはりホテル価格なので、庶民は地元のスーパーで買って正解でした。

 


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この時もう風がかなり吹いてて私はカーディガンにウインドブレーカー着てましたが、宿泊者たちがビーチサイドのバーで水着やお洒落な格好でお酒を飲んだりしていたので強いなと思いました。

 

ビーチ側に歩いて行くとホテルの明かりがあっても星が尋常じゃないくらい綺麗に見えたので、できれば真っ暗なところでも見たかったです。(夫が怖がりなので無理でしたが。)星空ツアーなるものもホテルのツアーデスクで申し込めるみたいです。

星はでももっと田舎の小島の方が光源少なくてよく見えるのかなと思います。今回行けなかった波照間もいつか行きたいな…。

ホテルやプールの夜の景色も綺麗なので、これで寒くなれば最高でした。笑

 

ネムーン特典でホテルからワインハーフボトルがありましたが、初日はクタクタだったので頼まずにお風呂入って就寝。

 

ちなみに大浴場は屋内と露天風呂がありまあまあ広いのですが、GW前でも宿泊者が多いのか女湯は少なくとも連日めちゃくちゃ混んでました。4日とも基本は混んでて、空いてたのは16時台とかそれくらいだった。

託児所もあるお子様フレンドリー、ベビーウェルカムな施設なだけあってお子様連れが多いので、タイミングによっては風呂や脱衣所がカオスでした。4,5歳の男の子3人が走り回る、ロッカーよじ登る、ベビーベッドに寝転がってフルチンでM字開脚(笑)、水風呂の水を桶に溜めて洗い場にいるママや他のゲストに掛ける、水風呂に飛び込み……なんかママさんも疲弊して叱る気力もないんだろうなと思ってそそくさと立ち去りましたがパパとか他の家族は?!となりました。(ママのみor実はもっと兄弟多くてこれでも手分けしたのかもしれないけど。)

 

4/19

この日は特に理由はないようですが夫が黒島に行ってみたいと言うので早起きして向かうことに。

朝食会場はは2カ所から選べますが、まずは近くの琉球新天地という沖縄と中華のお店に行くことに。


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この日は朝も晴れていました。

 

朝6時台ですがアクティブ派の人も多いようでそれなりに賑わっていました。

8時の便で黒島に行きたかったので、急いで食べる。

八重山そば、しそやもずくの練り物、飲茶、島野菜スムージー、チヂミ、ジーマミー豆腐、クラゲの和物、麩チャンプルーなど種類が多くて目移りしまくる。あれもこれも食べたい…となりましたが、まあ残り後4回朝食食べられるしなということで腹8分目に抑えて、酔い止めを飲み、急いで離島ターミナルへ向かう。

 

ターミナルの駐車場(1時間100円)に車を停め、八重山観光の窓口で乗船券を購入し、なんとかギリギリ8時の便に飛び乗る。

天気は快晴!!嬉しい!!

離島ターミナルを出て30分もせずに黒島到着ですが、航路はGoogle mapが使えるくらい普通にネット繋がっててびっくりしました。


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短い時間なので船の後ろ側、船外で風を感じながら向かう。船内には島の住民らしき方々が数名、船外は我々以外に夫婦2組と女性が一人。

北西よりの風が強く、反対側の座席の方々は波がかなりかかってて大変そうでした。

 

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ちなみに黒島は石垣島から17キロほどの距離にあり、ハードアイランドとも呼ばれる、10km2ほどしかないハート型の小さな島。人口は200人なのに牛が3000頭もいるらしい。

 

ほんで黒島着いたらめちゃくちゃ曇り。なんでェ…

そして下調べ全くしてきていないため、港をうろうろ。他の観光客はレンタサイクルや宿?の送迎車に次々と乗り込んでいなくなる。

残っていたレンタサイクルの方が声をかけてくださり、お店で自転車を借りました。

 

まっちゃんおばーレンタサイクルというお店で、まっちゃんさん本人?がとても親切に色々教えてくれました。伊古桟橋は今が満潮時刻だから今すぐ行ったほうが綺麗だよ〜、お昼はこことここしかたぶんやってないよ、ここにビーチがあるよ〜、カラスが凶暴だから自転車に荷物置きっぱなしにしておくと荒らされるよ〜など。笑

オリジナルのマップに色々書きながら教えてくれたので。ほぼその通りに島をめぐることにしました。

 

ママチャリは3時間で1300円とかだったかな。

電動チャリやバイクもありますが、島の道はほぼ平坦なのでママチャリでも回れます。

が、結果この後13キロもチャリを漕ぐことになったのでバイクでも良かったかもしれない…笑

 

まず行ったところは伊古桟橋。

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港からチャリで15分くらい?最後はジャングルみたいな道を抜けると到着します。大潮&風強い日だったので桟橋にじゃぶじゃぶ海水がかかってました。
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満潮時に晴れてたらクリアな海の景色で絶景なんですけどね…

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桟橋の先端までが2〜300m?くらいある長い桟橋です。

先端部分は波が当たるので東宝の映画の最初の映像みたいだなと思いました(適当)。

先端にいたお兄さんがこの辺ウミガメが泳いでるよ〜と教えてくれたので目を凝らしていると、海面に呼吸しに上がってくるウミガメを発見!これにはテンションぶち上がる。海中で見つけたことはあるけど、桟橋から見られるとは。

 

一通りカメさん眺めて満足した後は島の反対側の黒島灯台を目指すことに。

牛さんにしか会わない道をひた走る。


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この辺りまでは体力も残っていたので、ざわわだね〜というアホな会話にも応じられてました。

 

灯台はこちらも立ち入ることはできませんが、岩壁の方には行けました。

曇りでもこの透明度。

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近くに仲本海岸というビーチがあるのでそちらに向かう。

 

この頃には向かい風でも少しずつ体力が削られへとへとになってきてました。

ちなみにもうここまで来ると本当一人もすれ違うことがない。

ビーチももちろん貸切。晴れてたら服のまま入ってたかもしれない。ちなみにシーズンじゃないからかビーチの休憩所も近くのショップも完全無人


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そしてここを出る時くらいから突然雲が去って強烈な日差しが照りつける。

 

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晴れると海の色が1億倍きれい…


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ビーチの近くにハート型の石も。


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そして道なき道を進む。。。

島の中央より北、集落などはコンクリで舗装された道ですが、南の方や海岸部はこんな感じ。

 

晴れてきて暑いので上着は全部脱ぎました。

 

獣道沿いにビーチや有名な岩があるようなんですが、どこ走ってるかわからなすぎて色々見逃しました。


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自転車置いてしばらく歩くとどこかしらの海岸に辿りつく。西の浜だったのかな。(もう疲弊しすぎて記憶ない。)


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晴れたのでここぞとばかりに写真を撮りまくる。
砂浜っぽいところもある。
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この日1番の晴れ間。風は相変わらず強いですが本当これが見たかった!!


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一人だったらここでもう座ってぼーっとする一択なんですが、夫にはその選択肢がないのでまた獣道サイクリングに戻ることに。

 

ちなみに石垣島の整備されたビーチとは違って、去年の小笠原諸島の海底火山噴火による軽石が未だに除去されずに残っていました。

軽石と一緒にゴミも大量に。。。ペットボトルや瓶は中国語と日本語の文字が多い。


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そしてジャングル道を10分ほど走ると元々自転車を借りたショップの方に戻ってきました。

これでほぼ島を一周です。

自転車を借りてまだ2時間ちょっと。笑

船が13時なのでまだまだ余裕があるということで、次は島の中央にある展望台を目指します。

もう正直私はクタクタ&空腹、さらに酔い止めの副作用で眠たかったですが、そちら側に行かないと商店もないので向かいます。

 

もう2時間ほど夫以外の人間をほぼ見てないので、たまに遠くに畜産農家さんが見えると安心します。笑

観光客の皆さんはどちらへ行かれたのかな…

 

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展望台は島の小中学校の隣にありました。

牛さんがたくさん見えます。

 

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この頃にはもはや景色も見れないくらい疲弊していますが、島唯一の商店を目指して集落の方に向かいます。

 

たま商店でパンと焼きそばを買って食べて少しHPを復活させましたが、私は限界が来てました。笑

 

一通り見たいものは見れたので、一旦レンタサイクルのお店に戻ります。

 


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ヤギと牛しかいない、本当のどかな風景。

 


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道路脇に島の子供たちの夢が飾ってある。

良い夢だ。笑

 

 

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赤字ルートからの黄色ルートでApple Watchいわく13キロほどでした。

レンタサイクルのお店の前のイスに寝転んで私はガッツリ紫外線浴びながら仮眠を取って船を待ちます。

 

ちなみにレンタサイクルは鍵が付いてないですが、人もいないので盗難の恐れはないようです。笑

 

13時の船に乗り石垣島に戻ります。

 

まだ2日目の午後になったところですが、残り3.5日分は後編に回します。

 

 

シルバニアファミリー ペルシャネコのみつごちゃん開封レビュー

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このブログでは唐突な報告になりますが2020年12月現在、シルバニアファミリーの沼にとっぷりと浸かっています。

 

去年イギリスにいる砂子氏に衛兵さんの格好したクマのお兄ちゃんを贈ってもらって、「あっなんか久々に見るとやっぱりシルバニア可愛いな」となって家電屋立ち寄ると女児玩具コーナーをウロウロするようになり、

 

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今年の年明けにたまたまエポック社の前通りかかってシルバニアのディスプレイを見て、「んあああなにこれ…かわいい…」となって仕事終わりにトイ◯らスにも立ち寄るようになり、

 

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こうしてじわりじわりとまた沼に浸かっていきました。

 

 

今もう気付いたら30人以上のシルバニアに囲まれて暮らしていますが、↑このディスプレイで見たみつごちゃんを最近ようやくお迎えできたので開封レビューします。

 

 

 

はい、どん。

 

 

 

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はい、もう可愛い。

 

 

 

 

 

 

 

こんな可愛いものが800円とかで手に入る世界に生きてて幸せです。

 

私は通常森のおうちとか玩具屋で買いますが、今回は事情あってビックカメラのウェブサイトで756円送料無料で買いました。

 

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開けてみます。

 

 

 

 

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内容物はみつごの赤ちゃんとゆりかごとストーリーブックです。

 

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なんだこれめちゃくちゃかわいいなおい。

 

 

 

 

 

プラスチックの型から外してゆりかごに寝かせてみます。

 

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はい、可愛いの暴力。

 

 

 

 

ちなみに見守ってくれてるのは同じくペルシャネコの赤ちゃん3人です。

 

全員かわいい。

 

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ストーリーブックにはほっこりオフィシャルストーリーが描かれていてしかも14ページというボリューム感。

 

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ネタバレ(?)になるので割愛しますが、こんな感じで

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子供にはわかるかわからないけど来年30歳になる成人女性は全力でほっこりします。

 

あとお誕生日とかも書いてある。

 

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一通り読んだ後はもう好きな時に赤子を手に取ったり、眺めたり、写真撮ったり気の向くまま遊びます。

 

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来年30歳が何言ってんだだけど、めちゃくちゃ癒されるしコロナでステイホーム時間が増えた方におすすめです。

 

好きが高じて何ならもうエポック社さんに入りたいです。

 

少なくともシルバニアイベント(地方で全然やらない)が多い関東に移り住む検討をしています。

 

 

 

 

 

何がレビューなのかよくわからなくなってきたので、最後にそれっぽいの置いておきます。

 

 

 

 

可愛さ

★★★★★★★★★★

コスパ

★★★★★★★★★★

癒し

★★★★★★★★★★

総合

★★★★★★★★★★

 

タイトル:初みつご

内容:信じられない可愛さでした。リピします。

投稿者:おしぺんぬakaシルバニアで人生を狂わせたい人

GoTo使って8ヶ月ぶりに県外へ出てみた話

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そうだ、京都行こう。

ってことで行って参りました、8ヶ月ぶりの県外へのお出かけ。

1泊2日でほぼ前日くらいに決めたので、パッケージツアー間に合わなさそうと思い、宿だけGO TOトラベルの恩恵を受け、交通はぷらっとこだまで行きました。

それでも1万3千円くらい?

基本高速バス移動をメインとしていた私としては安くはないけど、こだまなら名古屋から京都1時間かからず4400円でドリンク引き換え(一部のアルコール可)チケット付いてるので、安全性と時間を買ったと思えば激安です。

初日

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9時台のこだまに乗り(ガラガラ)、車窓から特に何もない岐阜羽島米原の田舎の景色を眺める。

ここでまず感極まる。()

8ヶ月ぶりだ。

8ヶ月ぶりに県外の景色を見ただけで高まる。

山、田んぼ、田んぼ、山、川。

なんでもない景色だけど、ずっと同じ部屋からの景色、窓のない地下鉄、窓のない事務所に通勤してる身からすると、とにかく旅に出られるってだけですん晴らしいという気持ちになる。

f:id:callemanila:20200929232504j:plain こんな景色を見ること50分で到着。 駅着いた時点で思うけど「人少なっ」 f:id:callemanila:20200929232629j:plain 毎年行ってたし住んでたことさえあるのに、駅なんかゆっくり見たことなかったので登ってみました。 f:id:callemanila:20200929232732j:plain 一番上まで来てから高所恐怖症なの思い出してすぐエスカレーター下りました。 今回泊まったのはゲストハウス和楽庵。 f:id:callemanila:20200929232952j:plain 元職場でもあり、かれこれ10年ほど通っているフェイバリット京都の宿です。 平日なので私一人で貸切でした。 gotoトラベルキャンペーンで35%オフです。プラス来月から地域共通クーポンももらえるよ! 泊まったことがなかったデラックスルームに一人で泊まっても5千円。ありがたや〜。 女将さんとも1年ちょいぶりにお会いできて嬉しかったです。 f:id:callemanila:20200929233200j:plain 中庭が相変わらずすてきなのです。 ランチは近くのおいしい粗挽きハンバーグをご一緒させていただき、仕事に戻る女将さんを見送った後ほろ酔いのまま鴨川へ。 f:id:callemanila:20200929233349j:plain 良い天気〜!! 風は強いけど日差し強くて丁度良い。 ポカポカして眠ってしまった。 住んでいた頃も鴨川沿いでよく昼寝して時間を潰していました。 宿にフリアコで住みながら月に10日ほど働いてただけで、お金なかったので。笑 昼寝終わった後は懐かしい場所巡り。 観光地じゃなく、普通にスーパーとか商店街とかそんなとこ。 f:id:callemanila:20200929233619j:plain 借りた自転車で向かい風の中適当に走った。 疲れて荷物置きに一度宿に戻った後も部屋で昼寝した。笑 心地良すぎる。 f:id:callemanila:20200929233819j:plain 日が暮れたのでキラメキの鶏白湯ラーメンを食べに行き、少し御池の地下で買い物してから宿に戻る。 f:id:callemanila:20200929234007j:plain 貸切なので宿直さんしかいないし、気楽に思うがままに優勝。 蛸安のたこ焼き久々に食べれた。 本来ならここで他の宿泊者さんと飲んだり話したり、そういう時間が持てるけど、コロナがもう少し落ち着いてこないと難しいね。 その後は女将さんチョイスの漫画を読み漁りながら気がついたら夢の中。 この8ヶ月完全オフの日があまりなかったので、久々の感覚でした。 朝は自然光で目が覚め、盆地の秋の寒さを突如思い出す。やっぱ名古屋より寒い。 冷たい水で顔を洗い、支度を済ませると女将さんがおいしいブレクファスト作ってくれました。 f:id:callemanila:20200929234408j:plain 久々に実家に帰った娘並みに甘え倒してしまった。 ご飯食べながらもリモートインタビューに答えたり、仕事したりと、相変わらずめちゃくちゃハードに働いていました。 諸々の抱えるものが多そうで心配にはなるものの、私の前では明るくいてくださった。 早く京都に活気が戻り、賑やかな宿に戻るといいな。 f:id:callemanila:20200929234827j:plain 宿を出てからはとりあえず人が少ないと噂の嵐山に行ってみた。 f:id:callemanila:20200929234911j:plain f:id:callemanila:20200929234939j:plain 渡月橋f:id:callemanila:20200929235032j:plain f:id:callemanila:20200929235104j:plain 竹林も とにかく人が少ない。 修学旅行っぽい学生とか大学生カップルとか、不倫っぽいカップルはいるけど、疎ら。 こんなに人がいない京都なんか初めてだった。 写真は撮りやすいです。 f:id:callemanila:20200929235242j:plain 市街地もだったけど、やはりお土産とかのお店は閉まってるとこ多かったかな。 ミッフィーのお店は初めてみた。 その後バスで四条河原町あたりまで行って弟と1年半ぶりに再会。 引っ越し忙しい中来てくれてありがたいです。 お互い社会人になり、お互い非正規雇用とかいう現代の闇を抱えながら頑張って生きていこうとおもいます。 帰りもぷらっと予約していたため、飯も早々に慌ただしく京都駅に向かう。 本当は食後に何か就職祝いの品を買ってあげたかったけど、時間がなかったため一万円札握らして「これお祝いな!」と去ってしまった。 雑な姉ですまんな。 そんなこんなであっという間の一泊京都一人旅。 なんというか京都はもはやアナザースカイ的なポジションゆえに帰省に近いけど、色んな景色を見たり、会いたい人たちに会えて良かったです。 観光の現場を見るとコトの深刻さもようやく正しく理解できました。たぶん。 コロナ対策はしっかりして、密を避けて、やれることやりながら旅をリスタートするしかないです。 対策しててもかかる時はかかるし、それは誰のせいでもない。 特に持病のない&高齢者と暮らしてない若い人など低リスクな人は(たぶん金もないけど、)今のうちに色々行くと良いと思う。 東京の人たちの大移動でまたたぶんすぐ第3波来ると思うけどど、その前後にまた私も旅に出たいです。 就職した時、これからも呼吸するように旅してやると強く決意しているので、このスタンスは変えずに生きたい。

COVID-19-38

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2044年7月21日午前10時。部屋のものを可能な限り処分し終えた広い空間で、最近流通し始めた真新しい防護スーツを身に纏い、迎えが来るのを待つだけの無為な時間を過ごしている。ただでさえも息苦しいのに、顔まで覆う防護スーツが空気を遮断して体温の上昇を加速させる気がする。他者の感染を予防するこれは、噂の通り着ると二度と自分では脱げないようだ。何のどこを引っ張っても無駄ということがわかり、辛うじて残しておいたベッドに横たわる。こんな苦しいのであれば、迎えが来るまで着るんじゃなかった。横になったところで、助かる見込みのないという私の肺は殆ど空気を受け入れず、代わりに激しい咳とともに血が混ざった淡が排出され、防護服の内側を汚した。と、同時に激しい痛みが咽頭から全身に伝播し、反射的に奥歯を噛みしめる。私が侵されているCOVID-19-38という感染症は、2019年に中国から世界中に感染が広がったCOVID-19、当時日本では「コロナ」とか「新型肺炎」「新型コロナウイルス」などと呼ばれていたウイルスの38番目に確認された変異体だ。歴代の変異体より感染力が圧倒的に強く、現在各地で久しぶりの大流行を見せている。COVID-19の世界的流行が始まった当時まだ大学生だった私は、20年という時が経ち、この世界の「ちょっとましな方」に暮らす死にかけおばさんになった。目を閉じてプレコビッド時代(Pre-COVID)、つまりコロナウイルスが出現する前の時代の暮らしに思いを馳せる。最初は誰もが対岸の火事、日常を取り戻すための一時的な自粛期間、苦しいのは皆一緒、今だけと思っていたのに、あの時から何もかもが変わってしまった。変化は徐々にではあったけど、生活様式も、国の在り方や価値観、世界の様相も全て。その一方で数少ない、変わらなかったことと言えば、これだけ様々な技術が進歩した今でも、このウイルスを完全制圧することは人類には叶わなかったことと、このことを大学生の私に伝えられるタイムトラベルのような便利な装置は未だに存在しないということくらいだ。

今私が住んでいる世界の「ちょっとましな方」というところはSafe District=安全区、通称ディストリクトと呼ばれる場所で、各国の首都や大都市などに点在する特別地域。ここは国家と人類の存続に最低限必要な機能が備わっていて、一部のごく限られた人間や動物のみが出入りと居住を許可されている。最初のCOVID-19の流行が多くの国で収束してから1年も満たない間に発生したCOVID-19-2やCOVID-19-3と呼ばれる変異体の爆発的な感染流行が拡大し、世界中が瞬く間にパニックに飲まれる中、感染拡大が起こる度に対処療法としてロックダウンを繰り返すだけでは、根本的にこの感染症から逃れられないのでは、人類はウイルスに根絶やしにされるのではという不安だけが世界中を覆った。そのような中で、国家の存続のためだけに提唱された、人工知能AIによる完全管理地区が一部の先進国で作られ始めたのが、今で言うディストリクトの始まりだった。ちなみに、これらの変異体にはCOVID-19のために某国の研究者が作ったワクチンや抗ウイルス薬が全く効かず、さらに致死率も高くなり、しかも前回の流行を上回るスピードで拡散した。故に様々な反省を生かして再構築されていたはずの医療体制も各国で大崩壊し、そこからたった数年で人類史上例を見ない速度で多くの人命が失われた。ついでに言っておくと最初の二つの変異体の爆発的流行には、当初より延期され、翌年に強硬開催された東京オリンピックが多大なる貢献をしてしまったことは、日本とオリンピック委員会の大きな罪として未だに何かと問題が起こるたびに槍玉に挙げられている。しかも、結局今のところそれが開催されたオリンピックとしては最後の大会となった。COVID-19ウイルスの感染力とその拡大の速度に伴い、その変異発生率も過去に例を見ない程高く、さらに一度感染して抗体があるはずの人がこの変異体ウイルスに感染すると重篤化率が数倍に跳ね上がるなど、それまでに人類が体験したことのない不可解な事象に感染症の研究者や医療現場、当時まだ発展途上だったAIでさえも常に対応にあぐねていた。特にウイルスの変異体間で予防薬やワクチンが有効にならないということが、新たな変異体が確認される度に終わりの見えない闘いを強いられるようで、我々の絶望感を加速させた。結局この20年で40種近いウイルス変異体が確認され、当時の世界人口の3割に及ぶ約20億人近くがCOVID-19およびその関連で亡くなったと言われている。今はパニックを防ぐという名目の下、死者数や人口の正確な数字は公表されず、パーセンテージでしか情報としては知らされていないが、私が知る限りでは人口の3割というのはかなり的確なものだと思う。国内でも消滅都市が複数生まれてしまったし、世界に目を向ければ消滅国家まで発生した。特にひどかったのが、主にアフリカなどの発展途上国などと当時呼ばれていた国々で、元々あった民族対立に加えて力を持ち過ぎた軍隊、ギャングなどが医療リソースを巡って内紛を起こし、難民の受け入れや物資を巡った国家間の戦争も各地で勃発した。病院や医療従事者を巡っての戦いは、結果それらをさらに追い込む惨状を招いた。元々衛生管理もままならない、医療インフラすら整っていないような環境で、戦争から逃れるために疎開した先でも、最前線の戦士の間でも感染爆発が起きるなどして環境悪化に拍車をかけ、先進国からボランティアなどで派遣されていた医療スタッフもその多くが犠牲となった。戦争から命からがら逃れた多くの人達が大陸や海を渡り、助けを求めて他国へ亡命を図ろうとしたが、自国でも感染抑制がうまくいっていない状態で、別の変異体ウイルスとともにやってきた難民を受け入れる余裕のある国などほとんどなかった。地中海を難民ボートで渡って押し寄せた大量の難民は受け入れを拒否され、船のそこら中でクラスターが発生し、治療も受けられず、最期はその死体さえどこにも拒否され、打ち上げられたボートごと大量に海に遺棄されるという非人道的な行いも見受けられていた。地中海が「第二の死海」と呼ばれ、無数の死体が浮かぶショッキングな映像とともにマスメディアを賑わせていたことも鮮烈に記憶に残っている。

 このような状況が数年続き、先進国の管理地区は感染爆発が落ち着いた後もロックダウンを強化させ、完全クリーンなエリアを形成するために様々な策を講じ始めた。各ディストリクトによって程度の差こそあれ、既に許可制となっていた外出やエリアへの入出、義務化されていた体調管理とその報告がAIによって統制されるようになり、人との接触は極限までに減らされた。医療リソースも一括で管理され、確かにディストリクト内だけでは感染の抑制がある程度は可能になった。丁度その頃から、「ポスコビ・ポスコロ(Post-COVID)」と呼ばれるコロナウイルス発現以降に成人になったこの世代が発言力を高め、リーダーシップを発揮しながらディストリクトの統制強化を加速させていた。この世代はコロナウイルスの感染が始まった頃に環境も整わないまま在宅学習を余儀なくされていたため、自力で教育リソースにありつくことができた者とそうでない者の格差が非常に大きかったが、力を持っていたのは言わずもがなその前者のみであった。ウイルスは変異する度にその症状や性質の変化が認められていたが、若年層の重篤化率・致死率に関してだけは一貫して上がらなかったことに加え、国に用意された一律教育を脱したことによりイデオロギー洗脳を受けていない、尚且つ様々なテクノロジーを取り入れる柔軟性を持ち合わせた彼らが世界を席巻していったことは言うまでもない。ポスコビ世代がAIとタッグを組んでからというものの、徹底した感染予防のためという名目の下ディストリクト内は日に日に変容していった。当時既にほとんど機能していなかった民主主義は完全に形骸化し、今の中央政府が情報を遮断するようになり、この辺りからは外の世界のこと、諸外国のことを知ることは一層難しくなった。ディストリクト内では、まず一番大きな変化として基本的に人は外出しなくとも各自が自宅の部屋の中で生活が完結する環境が整えられていった。たとえば、私が昔大学生の頃、海外の一部の地域でようやく始まっていた自動操縦ドローンを使った配達はここでも当たり前の光景になり、ドラマで見たような人が集まるオフィスやオフィスビルというものは姿を消し、ついでにAI搭載のロボット等が成り代わることで数多の仕事や職業も消滅したが、今は逆にAIが新たな雇用を生み、多くの人間にとって自宅で仕事することが当たり前となった。ついでに言うと、公共の監視用のドローンや、一人一台所持が義務化されている消毒自動散布用の小型ドローン、ペット型のものなど、様々なタイプのドローンが我々の生活を支えている。ディストリクト内で他の人と接触できるのは、ほぼ毎日行う簡易検査で互いに感染陰性が2週間認められた時だけという規則があって色々と面倒くさいのだが、昔で言うVRなどの技術の向上で、そこまでリアルが求められることもないし、最初の数年のうちにこの生活にも違和感も覚えることはなくなった。ディストリクト内にアーティストと呼ばれる人はいないが、AIが無限に作り出すコンテンツなどで退屈することはないし、昔公共や民営で存在していた運動用フィットネスジムも、一家に一部屋が標準となった。私自身はこれまで特殊な仕事をしていたから時折外出もあったけど、このような環境下では多くの人にとって自宅を出ることは、昔大学生だった自分が「遠くへ旅行に行く」とか「海外に行く」くらいの感覚になっていると思う。それに伴い電車などの公共交通機関と呼ばれたものは全て姿を消し、AIによる自動運転システムが搭載された無人のUTAXIが主な移動手段となった。大昔に建設が開始され、本当であれば来年全線開通予定だった夢の高速鉄道と呼ばれていたものも、いつの間にか人々の記憶から忘れ去られていた。

 たまたま20年前、私は今のこのディストリクがある地域に家族と住んでいただけで、この中に留まれているだけであって、もしこの「外」に住んでいたら入出すら叶わなかったと思う。今新たにこの中での居住が許されるのは、中央政府の人とその関係者、金持ちや何かの機関で選ばれたIQの高い人や特定分野のスペシャリストなど、国家の存続に必要な人材くらいだと言われている。そして、これまでの話は全てディストリクト内のことであり、「内」があるということはもちろんその「外」側の世界がある。このディストリクトは、十年前の都道府県の解体でおそらく厳密には違うものの、昔東京都のあった場所に都よりも狭い範囲で存在し、それ以外はabandoned zone(忘れられた地域)、通称ゾーンと呼ばれている。ちなみに、今も関西にも一か所だけディストリクトがあり、以前はもう一か所だけその中間地点にも存在していたが、7年前の大地震津波で壊滅してしまった。私も近寄ったことはないが、今はゾーンと化しているらしい。その大地震を含め、思い起こせばこの20年ウイルスとの闘い以外にも色々あったはずだが、あまりにも起こりすぎて記憶から零れ落ちてしまっているし、そもそも、前述の通り我々に提供される情報というのもいちいちAIや中央政府が噛んでいるので、どこまでが現実なのか、何をもって正解なのかは正直わからない。この20年で多くの人は自分の頭で思考することをやめてしまったし、他者や周囲への関心や興味を失ってしまったように思う。絆とか繋がりというような昔よく使われた単語は、今は古語辞典にしか載っていない。そして、プレコビッド時代には既にAIは独自の言語を作り出すほどには人間の知能を遙かに超えていたらしいから、それが本当なら、ここまで人類が減ったのももはやAIの計画だったのではとも思える。だが、私のように考える人はディストリクト内外でも数えるくらいの人しかいないだろう。現在はディストリクト内の人、ゾーンの中に住む人、お互いそれぞれの状況を知らない人が大多数だし、もちろん知ろうと思う人もほとんどいない。特にポスコビの若い世代は別の世界の存在すらよくわかっていないというのも不思議ではない。ただ私がとある調査研究機関で働く、ディストリクトとゾーンの行き来が許された数少ない人間で、一般の人よりは加工される前の情報に触れる機会が少なからずあり、この分裂された両方の世界を知った結果、そのような思考に至っただけで、確実な論拠があるわけではない。何が本当で、当たり前で、正常なのか、20年という年月は全ての感覚を麻痺させるは十分な時間だった。

 ゾーンへのフィールドワーク調査という名目の元、行き来が可能になったのはここ4,5年のことではあるが、約15年ぶりにディストリクトを出た衝撃は今でも忘れられない。ゾーンの中にはポッドと呼ばれる人々が集まって暮らす集落のようなものが無数に存在し、そこにはプレコビッド時代の生活がほとんどそのまま残っていた。もちろん、ゾーン区域についてもディストリクト形成前からAIが一定の監視と調査を常に行っていて、ある程度知識としては知っていたものの、実際に目にすると、それこそタイムトラベルでもしたような気持ちだった。UTAXIの車窓からは人々が当たり前に部屋の外に出て人と話したり、食事をしたり、運動やレジャーらしきものを楽しんでいたりする光景が見えるのだ。学校のような機関が存在していたり、硬貨や紙幣という現金がまだ存在して普通に流通していたり。未だに多種多様な犯罪が起こったり(ディストリクト内でも犯罪が全く無いわけではないが)、オフィスビルが存在していたり。音楽や芸術を人間が作り出し、それを愛でる人間もいる。ディストリクト内ではごく一部の物好きだけが続けている恋愛や結婚、感染リスクの高い生殖行為というものも、ここでは当たり前にしているというから驚きだ。ちなみに、ディストリクト内では女性は体外受精と出産の要請に応じると報酬が貰える。ゾーンでは子供を産み育てるプレコビッド時代の習慣も残っていていることを知った時、6年前に報酬目当てで要請に応じて妊娠し、ある日私の胎内から引きずり出されて行った顔も知らない我が子のことを思い出した。一年無職で暮らしていけるくらいの報酬と中身が無くなって伸びたお腹の皮膚と傷だけが残され、その子がどこでどうしているのか、そもそも生きているのかどうかも最後まで知ることができなかった。

 一部のポッドには、バスなんていう懐かしい乗り物や、とっくの大昔にディストリクト内では使われなくなった布マスクを着用して歩く人々が、生き生きと堂々と、家族や友人、恋人と道を歩いているのだ。その景色を見た瞬間に、私はこの十数年でディストリクト内での生活が如何に変わってしまったか、どれだけ無機質で味気のないものに変わってしまったかを思い知らされた気がした。変化は徐々にではあったから自身では気付いていなかったが、私達が生きていた世界から、ずいぶん遠くまできてしまったようだった。ゾーンにいる彼らの日常はポストコビッド時代になっても続いていた。普通に出歩いてウイルスが恐ろしくはないのかという気持ちと、少しばかりの彼らへの羨望と、戸惑いや困惑でその最初のフィールドワークはその目的を果たせず、まともな報告書も書けずに後に雇い主であるAIから叱責を受けた。なお、私のような調査員はAIの補佐として様々な情報を収集・整理することで報酬を得ている。ゾーン区域に派遣される危険な仕事として敬遠されがちだが、おかげで私はこのような貴重な情報を多く得ることができた。

知っていたことではあったが、多くの人がプレコビッド暮らしをしているゾーンではディストリクト内に比べ、ウイルスの発生頻度ももちろん高いし、一度クラスターが発生すれば、拡大もかなり一気に進む。何なら日常的にウイルス感染が起きている。日々の検査や外出の許可は不要だし、マスクと簡易消毒だけで予防するだけで、人と人が接触するのが当たり前の世界では当然のことだ。ディストリクト内ではシールドか防護スーツを着用せず外出すること罰せられるし、毎日の検査で一度陽性が確認されれば、その時点でまず部屋から自力では出られないし、他人と同居している場合は、隔離所へ即時輸送される。ドクターのリモート問診や簡易化されたセルフ精密検査キットの結果から、状態に応じて必要な医薬品や物資などが自動で届く。陰性が確認された後クアランティンと呼ばれる指定の完全隔離期間を経て、仕事などの日常生活に戻る。もし、重篤化の可能性がある場合には政府がドローンで支給してくれる防護服を着用し、誰とも接触しないままUTAXIで医療機関に運ばれて行って治療を受ける。これによって感染が広がることも、医療崩壊が起こることも格段に減った。一方、ゾーン内では感染したかどうかのセルフ検査すら浸透しておらず、未だに検査機関に行かないといけないが故に、その間にも感染が広まっていることがほとんどだ。ただし、医療現場ではロボティクスや最新の医療機器などの導入などによりディストリクト内とほぼ同様に非接触が徹底されている。また、医療機関パンクしないよう地域を超えた情報や医療リソースの共有だけはAIが手助けしているようだが、7年前の大地震の直後に変異体3種がほぼ同時期に国内のゾーン内で感染爆発を見せた時などは、AIの予想を超えるスピードでウイルスが拡散し、さすがに死者数がぐんと伸びてしまった。AIのウイルス感染拡大予報というのも、プレコビ時代の天気予報なようなもので、年々精度は上がってはいるものの、100%には未だほど遠いのが現実だ。こういった感染爆発が発生する度に問題となるのが、陽性となった人や重篤者が必ずしも全員医療サービスを受けられるわけではないということである。プレコビッドの時代には、保険にさえ加入していれば、むしろ日本に住む人であれば医療サービスは平等に受けられるものだった。それが今や、感染者数が一定数まで増えると確実にそうではなくなることが判っている。以前仕事中に入手した機密資料によると、某国では国民の年齢や推定寿命、各種能力、社会貢献度などから一人ひとりをスコア化し、それに応じて医療サービスを受ける優先順位が付けられていたということもあるようだった。それの真意は不明だが、少なくともこの国でも犯罪者や犯罪歴のある人が医療リソースにリーチできずに重篤化して亡くなるケースが数多くあることから、似たようなことをAIが行っていると推測される。兎に角医療リソースを増やせばいいじゃないかと言う人もいるが、ポスコビ時代において各国の様々な資源を巡る問題は非常に深刻で、ディストリクトのような保護管理区域が拡大できず、このような完全分裂社会として国が存在し続けることも、その部分が非常に大きいと言われている。

 終わりの見えないウイルスとの闘いにおいて、少しでも助かる命を増やすため、この国で苦肉の策として2年前に誕生したのが、治療を受けない権利を自ら選択できる制度だ。臓器提供の意思表示のような形で、重篤化した際に治療を受けるか受けないかを予め自分で決めておくことができるのだ。これは住む場所に関係なく、国民全員に突き付けられた命の選択だった。国としては、相変わらず一定数存在する自殺者の活用や、ボランティア精神に溢れる利他的な人々を最大限活用して、生きる意思がある人、生きるべき人を優先して治療に回すつもりなのだと思う。倫理観や道徳という言葉が消えて久しい世界では誰も何も声を上げないが、私や周りの調査員の一部は恐ろしいことだと口々に言っていた。

 ディストリクト内に住んでいて、治療を受けない権利を選ぶ人などいるのだろうかとも思うだろうが、私はそちらを選択している。今着ているこの二度と脱げない防護服も、これから私を迎えに来るUTAXIも、私のような人間を終末収容施設に連れていくために政府が用意したものだ。先月から既にCOVID-19-38の感染が拡大していたゾーンに調査で行った時だろうか、運悪くウイルスを貰ってしまったらしい。あと5分で迎えが来たら、この部屋に戻ることは二度とない。20年前には両親と姉と住んでいたこの部屋。最初に致死率90%のCOVID-19-4で姉が亡くなり、そして父親だけが老衰で、その翌年に母がCOVID-19-30で帰らぬ人となった。ポストコビッド以降、少なくともディストリクト内においては、結婚というシステムは形骸化し、「家族」という概念も、言語化するのは難しいが、少なくとも以前のものとは違うものになってしまった気がする。腐ってもプレコビッド世代の私はそれに完全には順応できなかった。一人で暮らすことが当たり前のディストリクト内において、ずっと家族と同居していたし、肉親が亡くなった時の、心と身体が引き裂かれるような思いは、何をしても、どの治療を受けても癒えなかった。医療機関に輸送されたはずの患者が生きて戻ってこられないことはよくあると皆言うが、誰か他の人のために、姉や母が犠牲になったかもしれないということを思うと耐えられなかった。ポスコビ世代の人に言ってもポカンとされるだけだが、耐えられないのだ。

 終末収容所は、ゾーンのどこかに建てられた完全無人の施設で、希望した感染者が次々と運び込まれ、施設内で死んだことを機械が感知すれば、隣接の火葬場で集団火葬されると聞いている。脳内のインプラントマイクロチップと連動したデバイスを使って、迎え待ちの30分でこの文章をしたためていたが、どうやら収容施設に着く前にチップも無効化されるようなので、おそらくこの先のことを書き起こすことはできない。この部屋から出たら、残されたものは全て滅菌後処分され、部屋も丸ごと消毒される。暫くしたらディストリクトに入居許可された新しい人物か、生まれてすぐにどこかへ連れていかれた我が子のような人間が住むことになるだろう。その人物だけに向けてこの文章を遺せるように特殊な仕掛けを部屋に残しておいたが、人類を遙かに上回る知能が管理する場所でそれが残るとも思えない。もし残っていたとしたら、このテキストはAIの検閲を受けた上で放置された、熱に浮かされて死にかけおばさんのどうでもいい戯言か、もしくは、奇跡的に検閲を避けて託すことができた、一調査員の知っている限りの史実と見解、そして、この世界をどうにかして変えて欲しいという遺言である。

※この物語はフィクション(ファンタジー)です。実在の人物や団体、2020年現在流行している新型コロナウイルスとは一切関係ありません。

プロ側室のはなし 前編

「プロ側室ってどういうことですか?」


お好み焼きを頬張りながら、濃い目のハイボールで完成されてケタケタと笑っている女の隣で、氷しか残っていない自分のグラスに手を伸ばしてマスターに合図を送った。

 

大通りから一本入った閑静な路地の角にある、お好み焼きと酒を出す変わったこの小さなバーが、最近のお気に入りだった。職場と家を往復する生活に飽きると、帰宅電車からわざわざ下車して寄ってしまう。今日で派遣の契約が最後だったという、同じ部署で約2年勤めた沢田というこの女が、あまりにもあっさりと帰されそうになっているのを見て、思わず飲みに行かないかと声をかけてしまったのが始まりで、何故ここまでパーソナルな話になってしまったのかは覚えがない。

 

「平たく言えば、普通に7年不倫してるだけ。」
「7年てヤバくないですか?同じ人とですか?え?社内じゃないですよね?」

 

明るく笑いながらも、その目は純粋な好奇と侮蔑に満ちている。期待したわけではないけど、この7年で何度も向けられた視線だった。自らをプロ側室名乗った覚えはないけど、数少ない私の内情を知る人から半ば皮肉でそう名付けられた。不倫する人間など人に非らず、私だってそう思っているし、今更7年目の側室生活を正当化も美化もする気はない。

 

「同じ人と7年。社外。以上。それより沢田、さっきの話。次の仕事決まってるの?」
「それは今はいいんです。飯塚さんのそういう話聞くの初めてだから、気になっちゃいますよ。」

 

当たり前だ。決して表沙汰にできない話で、学生時代からの友人でも限られた人にしか話していないし、その数少ない仲でも、そのうち約半数からは完全に距離を置かれた。沢田が何社も渡り歩いている派遣社員である以上、もしかしたらあの人や奥さんともどこかで繋がりがあったら、ということを思うと少し怖い気もするが、それがきっかけで、この生活が終われるならそれでもいいくらいには最近は疲弊している。


ここで誰と来て何を話そうが一切干渉しないマスターが、私の名前が書かれた麦のボトルを仕舞い、顔色一つ変えずに水割りを差し出す。この場所では今まで二人に話したことがあるから、マスターには、内心「またその話か」って思われているだろう。巷にあふれる不倫コンテンツと何の変りもない、よくある惨めで不幸で、取り留めのない話を、漏らしてしまう。

 


相手は元々、今の会社に転職する前に勤めていた会社の上司だった。新卒で右も左もわからない状態だったし、グループ会社との新卒オリエンで知り合った同期と当時は付き合っていたし、一回りも年上のいかつい上司のことを異性として意識したことなど一度もなかったし、想像すらしていなかった。それでも、働き続けているうちに、上司としては素晴らしい人の元で働けていると実感することは多々あった。何かあれば部下を第一に守ってくれて、ピンチの時は先陣を切って引っ張って行ってくれて、褒めて伸ばしてくれて、責任は取るから好きにしていいと言って。人から好かれ、人を動かすタイプのリーダーだったと思う。年360日は仕事してるような人だったのに、謎の資格を沢山持っていて、いつ勉強しているのかも謎だった。元々営業畑の人間だからというのが口癖で、その厳しい一面のせいで女性社員から一部異様なまでに厭われていた。ただ、そのいかつい見た目とは裏腹に甘党で、「ここおじさんだけだと来れないから」とお道化てカフェに部下を連れて来る時は、チームが煮詰まっている時だったりもして、それにも何度も救われたし、身近な人には愛されていたと思う。外回りの途中で二人で食事というシーンも多かったけど、いつも驕りなのに嫌なこと一つされず、むしろ仕事もプライベートのことも相談できるくらいにはなっていた。当時他部署に配属になった同期や、学生時代の友人の話を聞くと、セクハラやらパワハラ話のオンパレードで、相当恵まれているのかもしれないと思ったけど、それでも当時は、一回り上の気前良い頼れるおじさん、以外の感情を持つことはなかった。


5年勤めた会社を辞めるとなった時、上司は既に直属ではなくなっていたけど、それでも社内で最も頼れる人だったから、一番先にその話をしに行った。昼休みの終わり掛けに、駅ビルの狭い喫茶店の隅で、転職先が決まった、お世話になりましたと業務報告みたいな話をすると、泣かれた。アラフォーおじさんに目の前で泣かれるのは正直キツかった。嗚咽を漏らしながら、ぽつりぽつりと声を絞り出すように話す。お前元々キャリア志向だったし、ここじゃもったいないと思ってたよ。いいとこ見つかって良かったな。でも俺はお前ともう少し一緒に働きたかったよ。今まで見てきた何十人の部下の中でもお前が一番優秀だった。あの時飯塚のアイディアがなかったら、あのまま事業が頓挫してたかもしれないし、少なくとも俺はここまで残れてなかったよ。ありがとうな。次の会社でもがんばれよ。ここまで頑張ってくれてありがとうな。ぬるくなったカフェオレを飲み干す頃には何故か私の目も腫れていた。ブッサイクだなと言い合いながら職場に戻った。


転職してからの暫くは、右と左はわかるけど、今日が何年何月何日なのかがわからない、目まぐるしい日々が過ぎて行った。自分が望んで進んだ道だから、後悔はなかったし、次の会社でがんばれと言われた手前、休みが無かろうが、結果が出なくて苦しがろうが、がんばるしかなかった。新卒時代に付き合っていた彼は、気が付いたら一か月連絡していないこともザラで、そうこうしている間に知らない女と結婚したことを、前職の同期のSNSに上げられた挙式の写真で知った。転職して3年の間に2回引っ越し、それなのに家に帰るのも1年の半分くらいで、日々全国を飛び回り、彼と最後に遊んだのがいつかなんか、全然記憶になかった。関係がいつ破綻していたかわからないけど、この知り方は少なくともショックだと、その件で久しぶりに同期と連絡を取ったのが、7年前の春だった。

 

 

 

 

 

 

 

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うーん小説風むずい。

続くのかな…