推定寿命97歳の長すぎる余生

そんな生きる必要ある?

あけまして

2019年ですね。

毎日2018年と書き間違えています。

年明けの4連勤と1休はよく飲みました。

殆ど休みはないのに、正月休みに帰って来た友達とここぞとばかりに会ったからです。

少し無理でもしないと会えない仕事なのが惜しまれる。まあでも楽しかったので全て良しです。

久しぶりに会う友達と話して、卒業から今日までを簡潔に伝えるという儀式がありました。

新卒で入った会社でずっと仕事続けてる。

転職をしたけど結婚して趣味とか充実して楽しく生きてる。

同じ仕事しながら結婚して普通に暮らしてる。

同じ仕事してたけど転職してこれから知らない場所へ行く。

国内外色々転々と自由にやりたいことしてる。

仕事好きだけど産休ないから夏には辞めて母親になる。

色んなストーリーがあった。

私は卒業後の進学で躓いて精神を病み「まともに生きることは諦める」という条件を引き換えに、学校を辞めました。

療養も兼ねて、全てを諦めて2年ほど京都やそのへんでフラフラ楽しく生きていました。

親のプレッシャーもあり、一度だけきちんと働いてみようと思い就職活動をして地元に戻りました。

学生時代に仕事探しをしなかった私は企業研究などもよくわからず、内定を貰った中で一番何か楽しそうだと選んだ就職先は、蓋を開けてまたらただのクソブラック企業でした。

短い間でしたが、心身共にズタボロにされるには十分な時間でした。まともな判断力をまた失いつつある中で去年また転職をしました。

まともに生きることを諦めたはずなのに、まだそちら側にいける可能性があると、どこかで思っていたんだと思います。

でも、今回の転職で思い知らされた感じです。

全てを諦めなきゃいけない。

ずっと、まともに生きたかった。

まともな人間だと思われたかった。

18歳くらいの頃からモテないくせに何だかんだ常に男がいたのは、まともに生きてるような健常感を味わいたかったから。

夢や希望やまともな職がなくても、誰かと一緒にいたら自分はまともな健常者だと信じ込むことができた。

寂しいわけでも、誰かを好いていたわけでも、なんでもなかった。

恋人がいる人や既婚者が必ずしも健常だとは思わない。

ただ一見そう見えるから、憧れていただけなのだと。

健常感ないまま、自分はまともに生きることができない事実を受け入れて行く。

これからは、まともじゃないなら、せめて誰にも迷惑かけずに健康に生きたい。

そう心から願う正月でした。

まだ初詣には行けていません。

相変わらず誘えるような友達が近くにいないので、次の休みにでも一人で行く予定です。

あと少しがんばろう。